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佐山がついにバイトを始めた。 あれほどなかなか仕事をしようとしなかったのに突然どうしたのかと言いたくなるほど佐山の生活は劇的に変わった。最初こそは三時間だけ働いて帰ってきたが、今ではフルで入っていて藍季と同じくらいの時間に帰宅することもある。 佐山が見つけてきたのはこの近くのスーパーのレジ打ちのバイトらしい。この長身の大きな身体で小さくなってレジをしているのかと思うとちょっとおもしろい。 「うぇえ……」 藍季より遅く帰宅してきた佐山は半べそをかいていた。すんすんと鼻を鳴らしながら目を擦っている。 「また泣いてんのかよ」 「また失敗しちゃった……お釣り間違えて渡しちゃって……」 「ほら早く上がれよ。今日は飯作らなくていいから。インスタントにしようぜ」 玄関から動かない佐山の手を引っ張っていく。ソファに座らせ、洗濯物の山からタオルを引き抜き佐山に投げた。佐山はタオルを顔に押し当て、ぐすぐすと鼻をすすった。 なんだか懐かしい光景である。中学生の頃はよく佐山が泣いていて、慰めるのは藍季の役目だった。 「中学の時から精神年齢ってやつが変わってねぇよなあ、コイツ」 変わったことと言えば、図体が大きくなってゲイでヒモになっていたことくらいだろうか。──また咥えられたことを思い出し顔が熱くなり、慌てて頭をブルブル振る。 そもそも、いつから佐山は男が好きになったのだろう。ヒモのような生活をするようになったのは何がきっかけだったのだろう。 数年ぶりに再会した藍季には佐山の今までは知らないことばかりだ。 ていうか、「ヒモとは付き合えねーから!」という藍季の宣言に対して「付き合ってほしいとか言ってないし」と冷たく答えたくせに、急に働き始めたのが解せない。 バイトで泣いて帰ってくることが多いくせに辞める気配はないし、佐山は変わろうとしているように見えた。 水を溜めた電気ケトルに電源を入れ、棚からカップ麺を二つ取り出す。包装を破りながら、佐山をちらりと見た。 佐山は、藍季の知らないこの何年間を一体どう過ごしてきたのだろう。 ポケットに入れたままだったスマホがバイブ音を立てた。 「おー、早瀬!久しぶり!こっちこっち」 「うっす」 約束していた居酒屋に入ると、先に到着していた浅香が片手を上げた。そのテーブルへ移動し、浅香の前の椅子に座る。 浅香は中学生時代のバレーボール部の同級生だ。高校を卒業しそのまま地元で就職したが、今日はたまたま出張でここまで出てきていたので藍季に飲まないかと誘ってきたのだ。 とりあえずビールを注文し、出された水で口を潤した。 「仕事帰りか?」 「おう。浅香との約束があったから残業は勘弁してもらった」 店員からビールを受け取り、浅香とグラスをぶつける。ビールをぐいと一口呷る。 「で、なんで俺?」 「俺らの中で地元からこの辺に出ていったのって早瀬くらいだろ?あと呼び出しやすいし」 「なんだ、何か話でもあるのかと思った」 「別に大した話もねーけど、たまにはいいだろ」 結婚とか、と探りを入れてみたが浅香は残念な顔をした。どうも最近彼女に振られたばかりらしい。 「てか、俺だけじゃねぇだろ。ここに出てきてんの」 「え?誰?」 「佐山だよ、佐山」 まあ、藍季も偶然再会するまでは知らなかったのだが。え、まじで、と浅香は驚いた顔でまばたきをした。浅香も知らなかったらしい。 「つーか、佐山と会ったのか?やっとお前ら和解したの?いやーよかったわ、卒業まで口ひとつ聞かねぇんだもんな。俺らヒヤヒヤしてたんだよ」 ほっとしたように笑顔を見せながら浅香がペラペラ喋り出す。 「いや、和解ってか……あれは佐山があんなことしたから」 「お前は怒って試合の後すぐ体育館出ていくし、俺ら泣き止まない佐山慰めんの大変だったんだからな?」 「……は?」 ──泣いてた? 藍季の記憶ではあの大会の日、佐山が泣いていた姿は見ていない。閉会式の時間に体育館に戻ってきた時も佐山はいつものぼんやりした顔をして突っ立っていた。 「あの時俺達も知らなくてさあ。お前の膝のこと」 ドクドクと心臓が鳴る。 知らない。そんな佐山を、藍季は知らない。藍季の知らない真実がある。 「どういう……ことだよ……」 「え……早瀬、まさか佐山からまだ聞いてなかったのか?」 「……アイツは何も」 あい、俺達には、無理だよ。 あの時の台詞が蘇った。

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