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第二章 ボーダーライン7
将大と別れてアパートに帰り、集合ポストの中を検めていた宏輝は、信じられないものを発見する。数日前、頻繁に届けられていた例のカードが、今夜も入っていたのである。
ストーカーからのカードは毎朝ポストに入っていて、その内容の気持ちの悪さに宏輝は恐怖に身をすくめる日々を送っていた。しかしここ数日はカードによるストーキング行為はなくなり、すっかり安心しきっていた矢先の出来事だった。
宏輝は周りを見渡し、誰もいないことを確かめると、カードを手に急いで部屋へ向かう――宏輝の部屋は二階建てアパートの一階で、集合ポストから数えてふたつ目の部屋だ――慌てて鍵を開け、誰もいない暗い部屋へ身を滑りこませると、真っ先に内鍵とチェーンをかける。急に走ったせいか、思いがけないストーカーからの再接触のせいか、宏輝の心臓はバクバクと伸縮を繰り返したが、ひとまずは安心だ。宏輝はその場で動悸が治まるのをじっと待った。
冷静さを取り戻した宏輝はよろよろと立ち上がり、部屋の明かりをつける。何の変哲もない、普通の男子大学生の部屋だ。将大の部屋よりは生活感があるが、趣味らしい趣味がない宏輝の部屋は一見すると劣化版のモデルルームのような家具配置になっている。
整理整頓が行き届いた部屋の中央にあるテーブルに向かい、地べたに腰を下ろす。宏輝はそこでカードの文面を見て、言葉を失う。
『三日後、月明かりの下で逢おう』
今日は金曜日の夜だった。
「……三日後?」
このカードの内容が真実であれば、三日後の月が出る時間帯、すなわち月曜日の夜にストーカーが接触してくるということになる。
「三日後に、逢う? 僕が? 誰に?」
考えるだけで恐ろしい。ストーカーは日時まで指定して宏輝に会いにくるという。宏輝にとっては犯罪予告を受けたようなものだ。
ストーカーは宏輝の自宅はおろか、一日のスケジュールにいたるまで把握しているのだろう。それに対して宏輝はまったくと言っていいほどストーカーに関する情報を持ち合わせていない。フェアではない。一点あげるとするならば、カードに残ったミントの香りだろうか。それにしてもこの匂いと同じ香水をつけているストーカーを、出会った人からひとりひとり確かめていくのは無理な話だ。
「いやだ……」
呼吸の感覚が狭くなる。
「もう、いやだ……会いたくない。会いたくない。来ないで」
息を吸っても吸っても肺に酸素が届かない。
「助けて、助けてマサくん! もういやだ怖いよ! 怖いよ助けっ……っは、かはっ……あっ……ぁ……」
過呼吸だ。宏輝は胸を掻きむしりながら、その場に崩れ落ちる。とっさに将大から教わったように袋状のものを探したが、すぐには見つからない。応急措置として両手で口を覆い、一度吐いた二酸化炭素を再び肺へと送りこんでいるうちに症状は改善される。
だがストーカーの脅威にさらされている身であることに、変わりはなかった。
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