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第二章 ボーダーライン10
だが宏輝の放った拳は将大のみならず、他ならぬ宏輝自身も傷つけていた。
はじめて将大を殴った。
目の前にいたのが将大だとわかっていても、触れられるのが怖くてたまらなかった。本能的な恐怖だ。脳で考える前に身体は反射し、自らを守るべく攻撃をする。
あの事件があった日から、宏輝が許可する前に将大が触れたことはない。言葉にせずとも、将大には伝わっていたはずだ。それなのに、どうして将大は触れてきたのだろう。理由はわかっている。宏輝を心配してのことだ。理由がわかっているからこそ、宏輝は自身の行いが許せなくて、惨めで情けなくて、ただ突っ立ったまま将大と向き合う。
互いに無言の時間が数分続いた。
「悪かった……」
先に動いたのは将大だった。
「急に触ったりして悪かった」
「……マサくんのせいじゃない」
「ヒロ、悪かった。すまない」
「マサくんのせいじゃないのに……」
「でも、俺が怖かっただろう?」
「それは……」
将大の視線をたどるように宏輝は自分の手を見つめる。ぶるぶると震えていた。
「すまなかった。もう不用意に触らない。約束する」
「違う、マサくんのせいじゃないのに。どうして謝るの?」
「お前がどう思おうとも、俺がヒロを傷つけたのは確かだ。だから俺が悪い」
「……マサくんって僕のことどう思ってるの?」
聞きたくもない言葉が不思議とこぼれだす。
「マサくんにとって、僕って何なの?」
「ヒロはヒロだ」
将大からこの答えを聞くことは初めてではない。宏輝は不安に陥ったとき、同じようなことを訊き、将大から同じような答えをもらう。宏輝と将大との関係は幼馴染といった曖昧なものであるが、今の宏輝はそれ以上の言葉がほしかった。
「今日は帰って」
自然と語尾がきつくなる。
「お願いだから、今日は帰って」
「ヒロ……」
「何も見なかったことにして、今日は帰って。お願い」
「お前は何に怯えているんだ?」
「帰って……もういいから帰って!」
いつまでも帰ろうとしない将大に苛立ち、宏輝は声を荒げる。
「帰って! 帰って!」
突っ立ったままの将大の背中を押し、扉の外へと追い出す。だが将大はしつこかった。
「わかった。今日は帰る。だがな、ヒロ。いつかは話してくれるのか?」
「なんでわかってくれないの? 僕は何も知らない。何もしていない。マサくんには関わってほしくないんだ!」
「ヒロ、何も知らないってどういう意味だ? 本当に大丈夫なのか? あのカードは――」
「何も知らないって言ってるだろ!」
感情のままに目の前の背中を叩く。将大の背中は貧弱な自分の身体よりもずっと強固で、宏輝は強い憧れとともにコンプレックスを抱いていた。しかし今となっては、その堅さは逆に自らの拳を痛ませ、より惨めな気持ちにさせられる。
「帰って……っ」
ずきり。強く握った手のひらに爪が食いこみ、内側から痛みが湧きあがる。最奥から響く悲しみが、宏輝の目を滲ませる。
「……俺にも相談できないのか?」
将大の静かな問いに、宏輝はもう一度拳を打ちつけた。
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