30 / 82

第三章 第三の男9

 翌朝。宏輝は大学へ行く前に、一度自宅に戻ると将大に告げた。着替えや講義の用意をするためである。自宅の鍵を無くしたことを伝えると、将大は危険だからアパートまで送ると申し出た。  だが宏輝はそれを断った。泊めてもらった後ろめたさがあったし、将大だって大学に行く準備をしなければならない。  なにより宏輝は昨晩の『おまじない』の効果を信じていた。  将大から合鍵を受け取り、彼のアパートを出る。早朝の澄み切った空気が心地よく、宏輝は軽やかな気分で自宅へと向かった。  アパートに着いた宏輝は、将大から受け取った合鍵を使って扉を開ける。  いつも通りの何気ない動作。日常のありふれた風景。手元を見ずとも鍵穴の位置は把握してある。それがいけなかった。  宏輝はぼうっとした意識のまま何も考えずに扉を開ける。と、同時に中から何かが伸びてきて、宏輝の腕を掴み、声を上げる間もなく引きずりこまれる。あっと思ったときには遅かった。  勢いよく引っ張られた宏輝は、その衝撃で三和土に倒れこむ。受け身を取る余裕もなく、したたかに腹を打った。痛みに呻いている間に、静かに扉が閉められる。  宏輝は何が起きたのかわからなかった。  襲撃者がふふっと息を漏らす。宏輝は肩越しに振り返る。明かりの点いていない玄関は薄暗かったが、宏輝はその男の容姿に見覚えがあった。  ――どうして、こいつがここに……?  男は内鍵とチェーンをかけると、宏輝に向き直り、低い声で言った。 「遅かったですね、先輩」  間宮夏紀だ。 「俺、先輩が帰ってくるのを、ずっと待っていたんですよ」  人を馬鹿にしたような笑顔が特徴であるはずの間宮が、その両目を怒らせて宏輝を見下ろす。 「どうして……?」 「俺たちデートの約束しましたよね? あなたはそれを忘れちゃったんですか?」  宏輝は間宮の鋭い視線に射止められ、まったく身動きが取れない。 「困った人だなあ。ウッチー先輩は」 「どうして、お前がここに?」  宏輝は初めて見る間宮の怒りに、恐怖よりも先に戸惑いが出る。身体を打った痛みは間宮の登場による驚きにかき消される。宏輝は這うようにして身体の向きを変え、間宮を見上げる形になる。開いた口はふさがらず、とぼけた言葉しか返せない。 「約束って、どういう……」 「あなたはひどい人だ。俺があなたに何をしたのか。それも忘れちゃったんですか?」 「お前が、僕に……――」  その瞬間、宏輝はこの異常なまでの現状をようやく理解した。  ――そうだ、間宮夏紀はストーカーじゃないか。  宏輝は声にならない呻きを上げ、少しずつ間宮から離れようと後退る。だがすっかり腰が抜けてしまい、その動きはいっそ滑稽にも見えた。  間宮はそんな宏輝を一瞥し、口元だけで笑う。双眸に宿した怒りはそのままに。 「こんな時間まで何をしていたんです? もしかして長谷川先輩の家に泊まって朝帰りですか? しょうがない人ですね」 「何でお前が知ってる……?」  わけがわからない。だがとっさに口走ってしまった言葉に、間宮はいっそう機嫌を悪くした。 「図星ですか。まったく、あなたって人は、どうしてこうもわかりやすいんですかね」 「答えろ!」  間宮の嘲笑が降りかかる。それから間宮は宏輝の方に足を踏み出し、一気に距離を縮める。宏輝に逃げ場はない。やがて間宮の顔が正面に来る。 「だって――」  宏輝の腕を掴んで身体を起こしながら、間宮は言った。 「俺、先輩のことなら何でも知っていますから」

ともだちにシェアしよう!