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第三章 第三の男9
翌朝。宏輝は大学へ行く前に、一度自宅に戻ると将大に告げた。着替えや講義の用意をするためである。自宅の鍵を無くしたことを伝えると、将大は危険だからアパートまで送ると申し出た。
だが宏輝はそれを断った。泊めてもらった後ろめたさがあったし、将大だって大学に行く準備をしなければならない。
なにより宏輝は昨晩の『おまじない』の効果を信じていた。
将大から合鍵を受け取り、彼のアパートを出る。早朝の澄み切った空気が心地よく、宏輝は軽やかな気分で自宅へと向かった。
アパートに着いた宏輝は、将大から受け取った合鍵を使って扉を開ける。
いつも通りの何気ない動作。日常のありふれた風景。手元を見ずとも鍵穴の位置は把握してある。それがいけなかった。
宏輝はぼうっとした意識のまま何も考えずに扉を開ける。と、同時に中から何かが伸びてきて、宏輝の腕を掴み、声を上げる間もなく引きずりこまれる。あっと思ったときには遅かった。
勢いよく引っ張られた宏輝は、その衝撃で三和土に倒れこむ。受け身を取る余裕もなく、したたかに腹を打った。痛みに呻いている間に、静かに扉が閉められる。
宏輝は何が起きたのかわからなかった。
襲撃者がふふっと息を漏らす。宏輝は肩越しに振り返る。明かりの点いていない玄関は薄暗かったが、宏輝はその男の容姿に見覚えがあった。
――どうして、こいつがここに……?
男は内鍵とチェーンをかけると、宏輝に向き直り、低い声で言った。
「遅かったですね、先輩」
間宮夏紀だ。
「俺、先輩が帰ってくるのを、ずっと待っていたんですよ」
人を馬鹿にしたような笑顔が特徴であるはずの間宮が、その両目を怒らせて宏輝を見下ろす。
「どうして……?」
「俺たちデートの約束しましたよね? あなたはそれを忘れちゃったんですか?」
宏輝は間宮の鋭い視線に射止められ、まったく身動きが取れない。
「困った人だなあ。ウッチー先輩は」
「どうして、お前がここに?」
宏輝は初めて見る間宮の怒りに、恐怖よりも先に戸惑いが出る。身体を打った痛みは間宮の登場による驚きにかき消される。宏輝は這うようにして身体の向きを変え、間宮を見上げる形になる。開いた口はふさがらず、とぼけた言葉しか返せない。
「約束って、どういう……」
「あなたはひどい人だ。俺があなたに何をしたのか。それも忘れちゃったんですか?」
「お前が、僕に……――」
その瞬間、宏輝はこの異常なまでの現状をようやく理解した。
――そうだ、間宮夏紀はストーカーじゃないか。
宏輝は声にならない呻きを上げ、少しずつ間宮から離れようと後退る。だがすっかり腰が抜けてしまい、その動きはいっそ滑稽にも見えた。
間宮はそんな宏輝を一瞥し、口元だけで笑う。双眸に宿した怒りはそのままに。
「こんな時間まで何をしていたんです? もしかして長谷川先輩の家に泊まって朝帰りですか? しょうがない人ですね」
「何でお前が知ってる……?」
わけがわからない。だがとっさに口走ってしまった言葉に、間宮はいっそう機嫌を悪くした。
「図星ですか。まったく、あなたって人は、どうしてこうもわかりやすいんですかね」
「答えろ!」
間宮の嘲笑が降りかかる。それから間宮は宏輝の方に足を踏み出し、一気に距離を縮める。宏輝に逃げ場はない。やがて間宮の顔が正面に来る。
「だって――」
宏輝の腕を掴んで身体を起こしながら、間宮は言った。
「俺、先輩のことなら何でも知っていますから」
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