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第四章 手のひらの記憶7

 とても嫌な感じだ。  吸っても吸っても酸素が肺に入らない。喉が締めつけられたように苦しい。食道の奥から胃液が這い上がってきそうだ。  この感覚には覚えがある。  顔を青ざめさせた宏輝に気づいた間宮は、怖くないと何回も繰り返し言い聞かせて、宏輝の上に覆いかぶさり、そのまま唇を合わせる。 「んぅ……っ」  宏輝は奥歯を噛み締め、間宮の侵入を阻む。宏輝の頑固さを知ってか、間宮は深追いしなかった。 「先輩の唇、奪っちゃいました。ごちそうさまでした」 「……許さない」 「俺のキスがそんなに嫌でしたか?」 「これ以上僕に触ってみろ! ただじゃすまないぞ! もう僕らに関わるな!」 「また、僕らですか。本当にイライラしゃいますね。ムカつくなあ」  間宮は不機嫌さをあらわにしたが、それは宏輝に対するものではない。それがわかっていても、宏輝の主張は変わらない。 「お前は部外者なんだよ、間宮。僕にとってマサくんは特別だ。お前はマサくんの代わりになんかならない」 「可愛い顔して、さらっと酷いこと言いますね。結局、長谷川先輩とはどこまでしたんです? 後ろはまだバージンですか?」  宏輝の身体を撫でていた手が、ズボンのファスナーにかかる。 「やめろっ!」  宏輝は堰を切ったように暴れだした。 「やめろっ! 僕に触るな! 触るなっ!」  突然の変貌に間宮は一瞬たじろいだが、すかさず宏輝の腕を押さえつけ、暴れる身体を抑制した。 「落ち着いてよ、先輩。これくらい、今さらなんじゃないですか?」 「ふざけるな! ちくしょう、離せっ!離せよっ!」  押さえつけられているのにも関わらず、宏輝の身体はなおも暴れ続ける。  間宮には宏輝がここまで拒絶する意味がわからなかった。これまで間宮がアプローチした相手で宏輝ほど嫌悪感をあらわした者はいない。  ここまで嫌がられると宏輝が自分を見ていないような気がして、彼に対する気持ちが少しずつ薄れていく。だがそれでも、肉体の欲求は宏輝を求めていた。 「一回だけだから……これ以上、酷いことはしないから……」  宏輝の両腕は押さえたまま、間宮は片方の手で宏輝自身に触れようとする。服の上からでもその手から発せられる性的なオーラが不快で、宏輝はダラダラと冷や汗をかく。  口がわなわなと震え、両目からは涙が溢れ出した。 「い、いやっ、嫌だ! 助けてマサくん! マサく――」  宏輝が突然叫び出す。  間宮はとっさに宏輝の口を覆う。将大の名が出たことが不快だったのだ。 「ふ、ぐっ……ううっ」 「危ないなあ先輩、他の部屋の人に聞こえちゃうじゃないですか。これ以上騒ぐと、今度こそ口も塞いじゃいますよ。それでも――?」  だが間宮は、ようやく宏輝の異変の正体に気づく。宏輝の顔は青ざめ、額からは脂汗が滴る。 「ど、どうしたんですかっ?」  間宮が慌てて手を外すと、宏輝は荒い呼吸を繰り返し、自らを守ろうと小さく身を丸める。ひいひいと苦しそうな呼吸音から、間宮は宏輝の状態を理解する。過呼吸になってしまったのだ。 「先輩、どうしよう? 俺、どうすればいいの?」 「げっほ、っは、は、っ……」  苦しそうに呼吸をする宏輝を、間宮はただ見ていることしかできない。  せめて背中をさすれればいいのだが、間宮が少しでも身体に触ろうとすると、過呼吸で苦しみながらも宏輝は鋭い目で間宮を牽制する。  触るな、との無言の圧力に間宮はなすすべがなかった。 「……せ、せんぱ――」  宏輝に向けてかけようとした言葉は、突然何かの衝撃を受け、さえぎられた。 「ヒロっ!」  それは間宮にとって一番耳にしたくない男の声だった。

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