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第五章 やさしい腕の中で8
将大と別れひとり電車に乗った宏輝は、空いている座席を探し、周囲に目を向ける。
だが、ちょうど帰宅ラッシュと重なってしまったのか、空席は見られない。しかたなく反対側のドア前に立つ。
電車が発車する。慣性の法則で身体が揺れる。ガタンゴトンと落ち着いたメロディーを奏でるようになり、宏輝はスマートフォンを見た。通知は一件もない。
宏輝はショートメールを打とうとして、しばし逡巡したのち、スマートフォンを尻ポケットに戻す。今は将大のことを考えられそうにない。
ずいぶんと冷たい態度で別れてしまった。
将大はきっと怒っているだろう。それとも悲しんでいるのだろう。もしかしたら、その両方かもしれない。
――ごめんね、マサくん。
素直になれずに子供のような態度を取ってしまった自分が恥ずかしい。目をつぶると、たちまち後悔の渦に飲みこまれる。
ぐるぐると回る感情。揺さぶられる思い。こみ上げる涙。
――泣いちゃだめだ。泣いたら自分が可哀相になる。泣いちゃだめだ。将大を傷つけた自分に泣く資格なんてない。
ずずっと鼻をすすり、宏輝は現在の思考に戻る。
満員とはいかないが混雑した車内。あと数分もすれば、乗り換えのためにさらに多くの乗客が押し寄せるであろう。ただでさえ他人と触れ合うのを極端に恐れる宏輝は、当然満員電車も怖い。自意識過剰だととられてもいい。
いつもならば、人が少ない各駅停車で帰るのだが、今日の宏輝はすぐにでもアパートへ帰りたいという気持ちが強かった。それがいけなかったのだ。
異変を感じたのは、次の駅で多数の乗客が押し寄せたあとだった。
どんどん奥へと追いやられ、最終的に宏輝は反対側のドアへすがりつく体勢になってしまう。外の景色が見渡せる解放感はありがたいが、見知らぬ他人に背後を預ける形になり、底知れぬ不安も募る。
宏輝が下りる駅まで十分少々。早く着いてくれと宏輝は強く願った。
そのときだった。
あからさまな意図を持った手が、宏輝の股間をまさぐる。偶然などの言葉では言い表せない、いやらしい手つき。痴漢だ。
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