56 / 82
第六章 名を問う者ども7
将大はカフェを出て彼のアパートまで帰る間、宏輝の手を離そうとはしなかった。
まだ日は高く、通りには多くの人がいる。宏輝たちとすれ違う人々は怪訝な、それでいて不安そうな視線を送る。男同士で手を繋いで急ぎ足で歩いているのだ。ふたりがまとう空気もどこか刺々しくて、それがまた往来の人々の関心を集めるのだろう。
宏輝は将大のアパートへ着くまで、ずっと下を向いていた。今日の服にはフードがついてなく、他に好奇の目から自らを守る方法がなかったのだ。
将大に連れられるがまま移動すること約三十分。聞き慣れた鉄階段が軋む音と、さびた臭いが到着のサインだ。辺りを見渡しても、通行人はほとんどいない。視線の暴力からの解放に、宏輝はようやく人心地つけた。
「……宏輝」
将大は柔らかくなった宏輝の雰囲気を無視し、さらに強い力で引っ張っていく。
「マ、マサくん、痛い、そんなに強く……」
「悪い」
外階段で二階へ上がると、将大は奥へと進んでいき、自分の部屋の前に着くと空いた手でポケットを探り、鍵を取り出す。その間、宏輝を掴む手の力が緩むことはなかった。
「散らかってるけど」
鍵を開けた将大はそういうと、宏輝を先に中へ入れ、自分は後に入った。
「散らかってるって――」
その言葉は誇張でも何でもなく、目の前に広がっていた。
「――何があったの?」
几帳面な将大の部屋とは言い難いその乱雑具合に、めまいがしそうになる。綺麗でシンプルな将大の部屋の面影はどこにもなかった。
「どうしたの、これ……?」
「ごめん……」
「どうしてマサくんが謝るの?」
宏輝はそう聞くが、将大からの返答はなく、また握られたままの手も離される気配はない。そのまま将大の寝室へと連れこまれそうになったとき、初めて宏輝の心に暗雲が宿る。
「まだそんな時間じゃない……」
「宏輝……」
将大は低くそう呟き、握り締めたままの宏輝の腕を引き寄せ、前置きもなしに口づけようとする。
「やだ!」
宏輝は迫り来る将大の口を空いた手で塞ごうとするが、将大は宏輝の手のひらをべろりと舐め、反対に宏輝の背筋を凍らせた。
ともだちにシェアしよう!