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第六章 名を問う者ども8
「嫌だって言って……っ」
「ごめん……でも、止まらない……」
将大は宏輝の声を無視し、なおも口づけを繰り返す。
「やだ……」
宏輝は言葉で拒絶を繰り返すが、しだいにその抵抗は弱まっていく。将大は宏輝の反応を伺いつつ、少しずつ大胆になっていった。
「宏輝、触りたい」
「だめ」
「宏輝に触りたい」
宏輝を見つめるその瞳は歪んだ熱を帯びていた。
将大は宏輝の身体をゆっくりと押し倒していく。
今日は何も敷いていない。背中に当たる床の感触はいつもよりも冷たく刺さり、宏輝の身体をすくませる。横倒しになった宏輝にのしかかる将大は、背後からの逆光のせいか、表情が見えず、何を考えているのか伺い知れない。
「マサくん……」
「……ヒロ」
将大が呼び名を改める。幼少期より慣れ親しんだ呼び名が、今日ほど重くのしかかるとは思ってもみなかった。
「やっぱり嫌だ」
「どうして……?」
「だって、マサくんが変だから」
「変?」
「いつものマサくんなら、こんなことしない」
宏輝は下肢へ伸びる将大の手をぎゅっと握り締め、彼の本心に訴える。
「やめよう……?」
宏輝の上の影がゆっくりと退く。将大が何もしないとわかると、宏輝は身を起こし、少しだけ乱れた着衣を整える。
「ごめんね……」
宏輝が声をかけても、将大は顔を上げようとしない。そのまま将大の横を通り、宏輝は玄関へと向かう。今日は帰ろう。そう思ったのだ。
玄関で靴を履き、ドアノブに手を伸ばしたそのとき、宏輝は背中から抱きしめられた。
「……行くな」
「ひぃ……ッ」
息が詰まる。背後に立つ男が将大だとわかっていても、不意打ちの接触には全身が竦む。足先からこみ上げる震えを認めずにはいられなかった。
「ヒロ……俺を避けないで。俺を捨てないで」
将大の吐息が耳裏をくすぐる。ねっとりと這いつくようなおぞましさに言葉も出てこない。これは本当に将大の声なのだろうか。宏輝は怖くて振り返ることもできない。
「ヒロ――」
将大は宏輝を抱きこむ腕に力をこめた。
「――このままお前を閉じこめてしまいたい」
「や、だ……マサくん、離して……」
「好きなんだ……」
「……こわい」
「ヒロを愛してるんだ」
将大は好きだ、愛しているという甘い言葉を繰り返す。
宏輝はもう何が正しいのかわからなくなっていた。
「……宏輝、こんな俺じゃだめか?」
「わからない」
「何が?」
「わからないんだよ!」
宏輝の言葉を受けて、将大の拘束する腕に力がこもる。その力強さに、宏輝の心は大きく揺れた。
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