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第七章 蜜月2

 宏輝がシャワーを浴び、寝室へと戻ると、将大はすっかり疲れ果てていて、すやすやと寝息を立てて眠っていた。  そういえば、宏輝は将大の寝顔を間近で見たことがないように思う。  将大を起こさないように静かに近づき、そっとその顔を覗く。  将大のまつ毛は意外と長かった。目蓋が伏せられていてもわかる精悍な顔立ち。鋭く意志を持った眉に、研ぎ澄まされた鼻筋。一見硬そうな薄い唇が本当は柔らかいことを宏輝だけが知っている。 「……僕だけが」  本当にそうだろうか。  嫌な疑問が宏輝を襲う。 「マサくんと『おまじない』をするのは、僕だけだ……そうだよね、マサくん?」  今度の将大は狸寝入りなどではない。本当に起きる気配がない。 「マサくん……」  男の自分から見てもこんなに格好いい男はいないだろう。将大の容姿にコンプレックスを抱いていたのもそうだが、宏輝は将大の男らしい外見に惹かれる人間がもしかしたらいるのではないかという不安に、たびたび襲われた。 「マサくんには僕しかいないよね?」  宏輝はすうーっと将大へ手を伸ばす。宏輝の手は将大の頬、首筋、肩へと滑っていく。 「僕だけのマサくんだよね?」  そのまますすすっと指先を下していき――宏輝はそれを見つけた。 「……嘘」  将大の右手首の裏に残されていたもの。それは紛れもない、キスマークだった。  衝動のままに飛び出した。  覚えているのは玄関扉を強く閉めても、家人が追ってくる様子がなかったことだ。  この感情は何だ。宏輝は自分に問う。  キスマークを見たくらい、どうってことはないだろう。それが浮気の証だなんて責められない。だって自分と将大は恋人同士ではないのだから。それでも――。 「っ、何で……何でマサくんが……っ、ぼ、僕じゃダメなの? ダメだったの?」  自宅アパートへの道を走りながら、宏輝はぼろぼろと泣いた。朝方だったのが幸いし、泣きながら走る宏輝の姿を見咎める者は誰もいない。 「マサくん、どうして……どうして……」  自分が女々しくてたまらない。いや、それでは世の女性に失礼だろう。今の自分は何だ。二十年来の幼馴染のキスマークを見たくらいで動揺しすぎだろう。それほど将大の手首に残されていたキスマークが憎らしく、それを隠そうともしない将大自身にも怒りが募る。  ――嫉妬……これが嫉妬なの……?  思えば、宏輝がひとつ後輩の間宮と関わるようになってから、将大の機嫌は目に見えて悪かった。そう感じたのは長年一緒にいた宏輝くらいのものだろうが、そんなことは、もうどうだっていい。  ――僕たちは恋人同士なんかじゃないのに……っ。  宏輝はアパートに着くまで、自分と将大との関係を思い返し、首を左右に振る。  ――恋人じゃないなら……僕たちの関係性って何?  宏輝の疑問に答える声はいつまで経っても宏輝に届くことはなく、宏輝の心のもやもやも決して晴れることはなかった。 「宏輝! 探したぞ! 何で家を飛び出したんだ?」  頭ごなしに将大が怒る。宏輝はそれでも顔を上げる気にはなれなかった。

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