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第八章 最奥の汚点5
「……ヒロは家に帰れない」
「どういうこと……?」
「鍵はない」
「えっ?」
「ヒロを泊めたあの日の夜に、トイレに流した」
将大の発言に、宏輝は言葉を失う。
「トイレに流した……?」
「だから、お前は帰れない」
嘘だろ、と言いたかった。
何を言ってるんだ、と問いただしたかった。
だが、それは言葉にならない。
将大の目があまりにも、真剣だったから。
「……どうしてそんなことしたの?」
かろうじて出た言葉は、それほど頼りないものだった。
「……ヒロが勝手に出て行くと思ったから」
「僕は出て行かないよ?」
「俺はヒロを完全には信じられない」
「僕を信じてくれないの?」
「悪いけど――」
将大はそれだけ言って、宏輝の前から姿を消した。
狭い部屋にひとり取り残される。
「……ああ」
小さく零した言葉でさえ、宙に霧散し、届いた端から消えていく。
宏輝はどうしようもない不安感に苛まれた。
「どうしよう……」
わなわなと口を開けては閉じ、開けては閉じを繰り返す。乾いた空気が虚無に取りこまれていき、無意味に体内を侵食していく。
まるで穴の空いたゴムチューブのようなものだ。内側から押し上げられていくのに、いつまで待っても膨らまない。ただただ、流れていくだけ。
いつまでたっても、満たされない。
「どうしよう……どうしよう……」
宏輝の心にぽっかりと穴が空いていく。今まで将大で満たされていたはずの心の拠り所が、将大への信用を失ったいま、完全に居場所を無くしていた。
「マサくん……マサくん、マサくん、マサくん……っ!」
将大はどこだ。
将大はどこだ。僕の将大はどこだ。
僕の将大はどこだ。僕の将大はどこにいる?
宏輝は無意識のうちに辺りを見渡し、将大の面影を探す。ここは将大の寝室のはずなのに、彼がここに住んでいるという現実感が湧いてこない。将大の居住空間のはずなのに――。
「マサくんの世界に、僕はいらないの……?」
宏輝は将大の背中を思い、空しく涙を流した。
将大から充電器が手渡されたのは、翌朝のことだった。
「これ、必要だろ?」
「……」
ご機嫌取りのつもりだろうか。そう聞こうかとも思ったが、将大なりの気遣いなのだろう。宏輝は黙って受け取り、充電が切れてしばらく経ったスマートフォンを見る。着信が二十六件溜まっていた。その着信履歴を見て、宏輝は小さく声を上げる。
――間宮夏紀。
今の宏輝と外界とを繋ぐ、唯一の糸と言っても過言ではない存在。
「……まみや」
「間宮だと……っ?」
「っ」
「どうしてお前が間宮と繋がっている!」
「何するの返してっ!」
将大は強引にスマートフォンを奪い取り、宏輝の手から遠ざける。
「どうして間宮が……っ」
「間宮は関係ない! 返して! 返してよ!」
「……これは預かっておく」
「何言ってんの? ふざけないで!」
「お前に充電器を貸したのは間違いだった」
将大は宏輝から奪い取ったスマートフォンをズボンの尻ポケットにしまい、厳しい目で宏輝を睨みつける。
「……やっぱり、お前は信用できない」
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