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最終章 共依存2

 ――手が汚れちゃったね。一緒に洗いに行こうか。  男が顎で指したのは、古くて誰も近寄ろうとはしない公衆トイレだった。  手を洗うだけならば、公園の入り口近くにある手洗い場で充分に事足りる。十歳の子供でも、それくらいのことは容易に考えつく。この男は何をするつもりだろう。  男は宏輝の身体を抱えて立ちあがり、自分の子をあやすようにして公衆トイレへと連れて行く。嫌だ、と全身で抵抗したが、大人の力に子供が敵うわけはない。  宏輝は前後左右に視線をやるが、やはりこの公園には自分たちしかいない。  絶望的な状況だった。  ――なんて可愛いんだろう。可愛い。可愛い。可愛い可愛い可愛い。  男は呪いのように同じ言葉を繰り返す。その間、宏輝の口は男の手によって覆われ、一言も発することができなかった。  公衆トイレの一番奥の個室。  饐えた臭いが宏輝の嫌悪感に拍車をかける。むき出しになった下半身に男が陰部を寄せる。  ――おじさんがもっと可愛がってあげるから。  瞬間、宏輝は喉の奥から叫んだ。  すさまじい激痛が宏輝を突き刺す。  痛みのあまり口に当てられた男の指を噛んだが、男はそれすらも愉悦に感じ、なおも侵入を続ける。  ――僕。はやく大人になりたいだろう?  男の手が小さく震える宏輝自身を包む。  ――おじさんが君を大人の男にしてあげる。  ひりつくような痛み。男の指が先端を刺激する。宏輝は絶叫した。  痛すぎておかしくなりそうだ。いっそ狂ってしまったほうが楽になるんじゃないかとも本気で思った。どうせ誰も助けには来ない。こんなところ、誰も来やしない。  深い絶望の淵に立たされた宏輝は、心の奥で無力な自分自身を恨んだ。  どうして将大と喧嘩をしたのだろう。どうして真っ直ぐ帰らなかったのだろう。どうして見ず知らずの男の言葉を素直に信じたのだろう。  ――誰か……っ。  襲い来る痛みから逃げるように、宏輝は全身の力をこめて助けを求めた。  ――このことを誰にも言うな。  男はそう言い残して宏輝を解放した。  宏輝が動けるようになったのは、男が去ってからしばらく経った頃である。汚されてしまった下半身を清めようとしたが、あいにくどの個室にもトイレットペーパーが無い。それほど利用されていない場所なのだ。  気持ち悪いと思いながらも、宏輝はそのまま下着とズボンを履き、よろよろとおぼつかない足取りで公衆トイレを抜け出す。  何もかも忘れて早く帰ろう。帰ってシャワーを浴びて、綺麗な服に着替えてベッドで眠れば、こんなこと全部忘れられる。そして何事もなかったかのように、明日登校するんだ。  未来のことを考えることで、宏輝は現実の記憶を忘れようと努める。 「――ヒロっ!」  砂場に放置されたランドセルを取ろうとした手が止まる。  駆け寄ってくるひとつの影。 「ヒロっ、何があった? 大丈夫なのか? どうしてそんな恰好?」 「……マサくん?」  今日は部活があって一緒に帰れないんじゃないのか。どうしてこんなところにいるんだ。  呆然とする宏輝を不審に思った将大が目の前に立つ。 「どうして泣きそうな顔をしている?」 「……っ」  どうして? それはこっちのセリフだ。 「ヒロ、泣くなよ」  将大の手が頬に触れた瞬間、宏輝の中の何かが音を立てて崩れ去った。 「触るな――っ!」

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