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アゲハチョウ 6
人の気配が、やけに少ない宮だと思った。
「ごめん!」
張り上げた訪いの音声に、返ってきたのは聞き覚えのある声……
「何用だ辰砂、あの話は断っただろう。わたしはお前のように、一晩に二人の相手をできるほどでは……」
「連れてまいりました、殿下」
「……王弟、殿下?」
まつかぜ。
殿下の唇が、音もなく動いた。
俺の名。
薄衣一枚だけをはおられたしどけない姿なのは、湯上りだからなのだろう。
髪からしずくが落ちている。
ぽたり。
磨き抜かれた床に、シミが一つ、ついた。
殿下は先ほど、辰砂さまに向かって『一晩に二人』と言われた。
垣間見える胸元の印とその姿を見れば、二人目なのは、俺。
「……辰砂」
「一夜のお情けを、この者に。殿下」
「辰砂、お前、知っていて!」
「お咎めはいかようにも」
短い言葉のやり取りのあと、お二人は黙って睨み合っていた。
ほんの少しの時間であっても、長く感じる重圧で。
先に視線を逸らせたのは、辰砂さまだった。
「わかっているのですよ。これでも、長らくあなたと一緒にいたのですから」
「ならば何故」
「あなたに、必要だと思ったからです」
「……いらぬ」
「普段でしたらわたしも引きます。周りがとやかく言うことではないですからね。が、今回ばかりはそうはいかないのですよ。お判りでしょう? 何としても、松風は今宵ここに置いていきます。なんでしたら、わたしがこの宮の宿居をしてでも、置いていきますよ」
改めて視線を戻してそう言い切った辰砂さまに、殿下はため息で応えた。
「……わかった。お前は戻れ」
「槻代さま」
「お前の希望に添えるかどうかはわからぬ。が、今夜はここに松風を置いていくがいい」
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