27 / 41

第27話忘れたい(side木ノ下)

30年近く生きていると、忘れたいことの1つや2つは普通にある。失敗したこと、恥ずかしかったこと、自分にとって無用なこと。 なかでもここ1年は忘れてしまいたいくらい、辛いことの連続だった気がする。 「優希さん、今日はどうされますか」 「…………家に帰る」 「かしこまりました」 父親の秘書である田口は有能だ。余計なことは言わず仕事を淡々とこなし、こうやって俺の諸々をやってくれる。 以前住んでいたマンションは引き払った。マスコミにより居住地が特定されるのを恐れたからだ。 1年前、父親のコネを使い、とある記事を揉み消してもらった。俺の父親は、政治絡みの所謂『先生』だ。跡継ぎには弟が決まっている。 俺は前妻の子ということで、幼い時から肩身が狭かった。母は、男と駆け落ちして姿を消した。残された俺は要領良く生きるため、理解のある子供を演じた。人に迷惑を掛けてはいけない、疎まれても蔑まれてもいけないと、常に自らへ言い聞かせてきた。 大学進学と同時に家を出る。それからは悠々自適に暮らしてきた。誰の目も気にせず、家のしがらみから開放されたと勝手に自分で思い込んでいた。 「着きました。明日も8時にお迎えへ伺います」 「ありがと」 「木ノ下先生が明日の昼食を共にしたいとのことです。いかがされますか」 「どうせ俺に拒否権はないでしょ」 「ええ、まあ」 田口は表情を変えず、淡々と話す。 「跡継ぎ問題以外なら何でも聞きますって伝えておいて」 「ですが……木ノ下先生は拓也さんより、優希さんをとのお考えです」 「それは俺が家を出る時に解決した。再び話し合う気もない」 「分かりました。優希さんのお考えは伝えておきます」 「よろしく。また明日」 「お疲れさまでした」 父親は、俺よりも弟を跡継ぎにする、だからお前は用無しだと聞いてもいないのに俺へ宣言をした。 昔から俺と弟の扱いは違っていたし、政治には興味がなかったから、すんなり受け入れた。家との関わりを無くしてしまいたかった。 状況が変わったのは、俺が父親の権力に頼ってからである。 狛崎を守りたかった。もふもふの尻尾と愛らしい笑顔を見ていたかった。彼を救うには、父親のコネを使うしかできないと、苦渋の決断をする。 狐の記事の代わりに、予め用意されたライバル政治家のスキャンダルが世に出されたことで、結果的に父親は追い風となる。俺は出された条件通りに、父親の所有する会社の役員となった。 狐に似た面倒臭い生き物を飼っていたのは、現実だったのか。 もしかして俺の妄想だったのかもしれない。 今でもそう思っている。

ともだちにシェアしよう!