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2018年9月26日-5

トーラス製薬株式会社 東京第1営業部 営業2グループ 主任 皆川 千景  渡された名刺にはそれらに加え、会社の所在地と電話番号、FAX番号、それからホームページのURLが記載されていた。名刺の右下に知恵の輪を思わせるロゴが入っている。テレビCMで見聞きしたことがあるような、ないような社名だった。  そしてその裏に、テキストチャットアプリのIDらしきものが走り書きされていた。  彼との身体の相性は、すごく良かった。はっきりと断定できる。  けれども、このIDに連絡することは決してないだろう。  セックスフレンドのような、曖昧でありながらも特定の相手は作らない。  どんな相手であれ、一度きりの夜を手放しで愉しむ。  それが一番、気楽でいい。  帰ってから捨てようと思い、チノパンのポケットに名刺を戻し、同時にそこからスマートフォンを取り出した。 叔父の久我(くが) 優一(ゆういち)から一時間ほど前に着信があり、その履歴が画面に表示されていた。現在の時刻は22時51分。留守電は入っていない。  ひとまずテキストチャットに「起きてる?」とメッセージを送り、JR渋谷駅の改札を通った。平日ど真ん中の夜が更けていく頃だったが、駅構内は多くの人の往来がある。様々な声と足音、機械的なアナウンス音が混ざり合い、氾濫していた。  山手線のホームに着いたところで、手に持っていたスマートフォンが震えた。優一からの着信だった。岳はすぐに電話に出た。 「どうした?」 「あ……、岳……」  聞こえてきた優一の声は、わなわなと震えていた。とっくの昔に成人を迎えている男にしては若々しく澄んだ声に、明らかな動揺が含まれている。岳は眉を蠢かせた。 「何だよ。先生となんかあった?」 「違うわ」  優一は即答した。見た目も中身もれっきとした男性だが、親しい人間と接する時だけ、妙なオンナ口調になるのが、彼の特徴だった。「違う、違うの……」と否定の言葉を繰り返したのち、彼はひとつ大きなため息をついた。 「どうしたんだよ。俺、もうすぐ電車に乗んだけど」  電話の向こうでもごもごとしている優一に、岳は焦らされていた。「間もなく電車が参ります」と無感情なアナウンスがホームに流れる。外回りの電車が、渋谷駅に近づいてきている。 「ごめんなさい、落ち着くわ。だから、岳も落ち着いて聞いてほしいの」 「何だよ」  徐行した電車が、ホームに滑り込んでくる。それを眺めながら、岳は胸のざわつきを確かに感じていた。  スマートフォンを握る手に、力が入る。なのに指先には感覚がなかった。心臓の鼓動が速まったのだろう、呼吸が少し乱れつつある。 優一の声と言葉から、嫌でも察してしまうものがあった。 「あの人が、来月にも出てくるって……」  停車した電車のドアが開き、ぞろぞろと乗降車が始まる。  人々が流動的に溢れる中、岳はひとり全身を戦慄かせ、その場に立ち尽くしていた。

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