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2018年11月9日-1
優一が安馬氏に電話をかけたあの日から、1ヶ月以上が経った。速い時の流れに驚き、戸惑ってしまう。
あの頃は、秋の長雨の影響で肌寒さを感じる程度だったが、今では秋物のジャケットを着なければ外を出歩けないほどの日々が続いている。11月9日金曜日の今日も、日中は暖かい日差しがあるが、朝夜は冷え込むと朝のニュース番組で言っていた。
予報は的中した。日が傾き始めてから、吹いてくる風が一気に冷たくなった。高さ50メートルほどの鉄骨足場で作業をしながら、岳はその寒さに時折身を震わせていた。
今週に入り、新築マンションの建設に携わっている。
地下鉄麻布十番駅から徒歩圏内にあり、建築主は大手不動産ときたら、施工されるのは高級マンションだ。順調に出世し、独立でもすれば可能性があるかも知れないが、自分が住むことは一生ないだろう。いささか馬鹿らしく思いながらも、岳は連日、クレーンで持ち上げられてくる鉄骨で鉄筋を組み、躯体が着々と出来上がっていく様を見続けていた。
今朝からずっと、気持ちが不安定だった。
いや、今朝からではない。2、3日ほど前から心は少しずつ揺れだし、それが限界にまで振れようとしている。そんな感じだった。
注意が散漫としながらの作業は、非常に危険だ。岳は努めて、目の前の仕事に集中していた。日が暮れだした17時過ぎに作業を終え、地上に降りる頃には、いつも以上に疲れていた。
何度も、忘れようとした。幾度となく、なかったことにしようとした。
けれども、そう意識すればするほど頭から離れないのが、ひどく腹立たしかった。
終礼後、岳はひとりで麻布十番駅近くの定食屋に寄った。現在の現場に移ってから、毎日のように通っている店だ。焼き魚定食を平らげ外に出たのが、18時半過ぎだった。
駅界隈の往来は、会社員や名門校の制服を着た学生が多かった。その中に混ざって、岳は駅へと向かう。
今夜もこれといって予定がない。この1週間は、ベッドで相手をしてくれる男ーー皆川 千景が社外研修だか何だかで大阪へ行っており、会っていなかった。確か今夜、東京に帰ってくると言っていたか……。
連絡をするか否か、岳は迷っていた。
この危うげな精神状態で、誰かと会っていいのだろうか。何かの拍子にキレて当たり散らすことにでもなれば、目も当てられない。そう思い、ここ数日は三鷹市の実家にも近づいていないし、優一や貴久とも連絡を取っていなかった。
けれども、こんな時だからこそ人肌が恋しくもあった。何もかも忘れ、どっぷりと快楽に浸りたいと、薬物中毒者じみた思考が頭を占め、身体が疼いているのも確かだった。
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