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2018年11月9日-2
日に焼けたニッカポッカのポケットからスマートフォンを取り出す。通知の類いは1件もなく、初期設定の味気ない壁紙と日時が表示されるだけだった。
……11月9日。
おのずと、深いため息が洩れる。取りあえず、家に帰ろう。それからどうするか、考えることにした。
スマートフォンをポケットに戻し、顔をあげる。向かいから、年齢差のある男女が仲睦まじげに腕を組んで歩いてきた。この一等地に相応しい身なりの中年男性と、不自然なまでに顔立ちが整ったーー明らかに整形していると分かる、化粧の濃い女だった。
あらかた、水商売の女とその同伴客と言ったところか。新宿歌舞伎町や渋谷などの繁華街でもよく見かける組み合わせだ。女の出勤に合わせて、男がついてきたのだろうか。
……まぁ、どうでもいい。俺には関係のないことだ。
そう思い、彼らへの関心を捨てた。そして、彼らとすれ違っていく。
「……ねぇ。奥さんのところに帰らなくていいの?」
「いいんだよ。あいつより、君と過ごす時間の方が大切だからね」
「本当に大丈夫? 不倫、バレてない?」
「大丈夫、心配しないで。前も言っただろ? バレた時は慰謝料を払ってでも嫁と別れて、君と一緒になるって……ーー」
背後へと遠ざかっていく男女の親密な声は、そこまでしか聞き取れなかった。が、それだけで十分、彼らの真の関係性を理解することができた。
知らず、握り拳を作っていた。切り揃えた爪が手のひらに食い込み、鋭い痛みを感じるほどに。
頭の中に、過去の記憶が濁流のごとく押し寄せると、一気に氾濫した。それから、腹の底からふつふつと、色で例えるなら赤黒い怒りが滾ってきた。
どこの誰かも知らぬオヤジだったが、その肩を掴んで振り向かせたところを、ひと思いに殴りたかった。女が悲鳴をあげようが何しようが、動けなくなるまでオヤジをボコボコにしたかった。
それほどまでに、不道徳な彼らが許せなかった。
……その衝動を、ぐっと堪える。堪えたが、沸きだった怒りまでは収まらなかった。肉体が、心が、それで染まりきっていた。「クソッ」と悪態をつき、岳は足早に駅へと向かった。
12年と半年以上前の話だ。
父親の久我 晃一が、殺人と死体遺棄の疑いで逮捕された。
被害者は久我 聡美 。晃一の妻で、岳の母親である女性だった。
中学2年生の春休みだった。当時所属していたバスケ部の春合宿から帰宅すると、出迎えてくれたのは母親ではなく父親だった。
その頃は千葉県船橋市の一戸建てで、両親と3人で暮らしていた。父親は大手総合電機メーカーに勤務し、母親は自宅近くの花屋でパート従業員として働いていた。両親は普段から口喧嘩が多かったものの、決して不仲ではなかったと思う。毎日、他愛のない会話で笑い合い、休日にはふたりで出かけていることもあった。
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