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2018年11月9日-5
「ーー……月曜日でした。息子が部活の合宿で家にいないタイミングを見計らって、妻が私の浮気について問い詰めてきました」
鎌ケ谷警察署内での取り調べにおいて、父親は自らにかけられた嫌疑を認めた上で、顔じゅうに悔恨の情を浮かべ、啜り泣きながら自白したという。
「私は最初、浮気を否定していましたが、興信所から手に入れたという写真を見せられ……居直った私に妻が怒り、私もカッとなってしまい……首を絞めてしまいました」
苦しみに踠いていた母親が動くなって、ようやく我に返ったという父親はひどく狼狽え、彼女のそばで一夜を過ごした。夜が明け、職場に欠勤の連絡をしたのち、全身の粟立ちをそのままに母親を寝袋に詰め、深更、自家用車のトランクに積んで、鎌ケ谷市の山道へと向かった。人気がいっさいない場所で車を停め、彼女を抱えて山林へと入っていき、亡骸を置いて帰宅した。
その翌日も次の日も、とてもじゃないが会社に行けず、家にいた。自身の不倫と妻の殺害を猛烈に悔い、得意先への接待を通じて知り合ったホステスの愛人に電話で三行半をつきつけた。そして、今後について考え暗澹たる気持ちになっていたところに、岳が合宿から帰ってきた。
「息子のことを思うと、どうか妻が見つからないようにと、祈るしかありませんでした」とあの男は言ったという。しかし、その祈りは虚しく、遺棄した二日後に遺体は発見され、警察が身元と死因、死亡時刻を特定した。そして、彼女の手の爪に付着した皮膚片をDNA鑑定した結果に加え、捜索願が出されていなかったことから、捜査線上に夫である晃一が浮上し、重要参考人として彼に任意同行を求めたのだった。
父親の逮捕直後、三鷹市の久我家や母親の実家にはマスコミが殺到した。当時の新聞や報道番組で事件は大きく取り上げられ、父親は「不倫を責められた挙句、妻を殺すなどというのは言語道断」「決して許されない」「奥さんは何も悪くないのに」などと世間から散々こきおろされた。
仲が良かった母方の親族とは必然的に疎遠になった。「あの男の血が流れた子の面倒を、我々で見られる自信がない」と言って、彼らが岳の引き取りを拒否して以来、一度も会っていなかった。
当時から現在に至るまで、岳は母親を喪った悲しみと無念、父親への憎悪を胸のうちで飼っていた。加えて、あの男のせいで自死を選んだ祖母と、その後を追うように鬼籍に入った祖父を憐れみ悼み、自分や優一の腐敗した日々を受容しながらも、惨めな思いを抱き続けていた。
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