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2018年11月11日-4

 その時だ。コンコン、とドアがノックされ、貴久が部屋に入ってきた。「お。起きてたか」と朗らかに笑いながら、彼はドア横のスイッチを押し、電気をつけた。  突然、視界が明るくなり、その眩さに岳は目を細めた。しばらく、まぶたが上がらなかった。その間に貴久はベッドのへりに腰を下ろし、手に持っていたお盆を岳の膝上に置いた。 「どうだ、調子は?」 「……しんどい、だりぃ」 「だろうな。……晩飯持ってきた。食べられるなら食べた方がいいぞ」  次第に明るさに慣れてきた。目を開いて視線を垂らせば、コンソメの匂いをたっぷりと含んだ湯気が顔にかかる。ひと口サイズに切られたニンジンやじゃがいも、たまねぎやソーセージが煮込まれたスープが、陶器の深皿になだらかによそわれていた。 「今夜はカレーの予定だったが、急遽ポトフに変更だ」  と、貴久は目を糸のように細めて言う。「これなら食べやすいだろうって、ゆうが」 「……無理、食欲ない」 「なら、スープだけでも飲め。弱った肝臓に効くだろうさ」  気が乗らないながらも岳はスプーンを手にし、スープを口に運んだ。コンソメの味と香りが口腔に広がり、喉がじんわりと温まる。遅れて、マスタードと土っぽい野菜の匂いがほのかに薫ってきた。  薄味だが、今の自分にはちょうど良い。幸いにも胃のむかつきは酷くないので、少しずつなら飲み進められそうだった。 「お前が酔い潰れるなんて、珍しいこともあったもんだな」  二口目、三口目とスープを啜っていると、貴久が苦笑しながらそう言った。ばつが悪くなり、口の端が下がる。 「俺が一番、ビビってる」 「だろうな。それで、何であんなに飲んだ?」  訊かれると思っていたが、いざそうなると気まずく、岳は最初、何も答えなかった。その様子を見て、貴久は腕を組み、やれやれと言わんばかりの微苦笑を薄髭が生えた口元に浮かべる。 「悩み事でもあって、どうにもならずに自棄酒か?」  ほとんど図星だった。顔が強ばってしまったのを、貴久は見逃してくれなかった。 「これに懲りたのなら、今後は無茶な飲み方はするな。それと、何があったのか話してみろ」 「……いつまでも教師ヅラしてんじゃねーよ」  覇気のない声で悪態をつけば、「人生の先輩ヅラだ」と飄然と言い返される。どっちにしてもウザいと思いながらも、それ以上の口答えはしなかった。 「親父さんの件か?」  単刀直入だった。貴久としても、思い当たる節があるとすれば、それしかないのだろう。  元はと言えば、そうだった。それから、あのことがあって……ーー 「……人を傷つけた」  岳は目を伏せながら答えた。こういう時に黙っていると、貴久はますますしつこくなる。嫌というほど知っていた。それに、二日前の過ちを告解したい気持ちが(しん)(おう)にはあった。  貴久になら、それができる。優一を信用していないわけではない。けれども、泰然自若とした性格や、善を尊び悪を咎めながらもすべてを受け止めてくれる度量の大きさ、それから、惑う者を正しく導かんとする強さがある貴久の方に、より心を委ねたくなるのだ。  教師だからというよりも、元からそういった人間なのだと思う。そんな彼を、岳は心底尊敬していた。……照れくさいので、口には決して出さないが。

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