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2018年12月2日-4

部屋に入るなり、岳に強く抱きしめられ、唇に食いつかれた。  その荒々しさに、乱暴された時のことを思い出し、千景はひどく強ばった。心臓が不穏に鼓動し、唇と唇の間隙から震えきった吐息が洩れ出る。怯えながらも岳からの口づけを受け容れていると、つと相手の顔が離れていった。  岳が、こちらをじっと見つめてくる。  劣情で()せ返った眼差しだった。  けれども、その奥に見える瞳には逡巡の色が広がっている。物言いたげでもあった。どうかしたのだろうか。わずかに首を傾げて岳を見つめ返せば、彼は抱擁を解き、伏し目がちに身体を離してきた。 「……悪い。怒ってるわけじゃない」 「……久我くん」 「アンタを怖がらせて、傷つけるようなことは、もう絶対にしたくない。けど……、分からない……」  苦悩に満ちた岳の声に、千景は目を見開いた。  ……やはり、あの夜と同じことが起きかけたということか。  それで岳は、踏みとどまった。踏みとどまってくれたのだ。  千景のせいで、嫌な思いをしたのに。 「……いや、俺のせいだ。ごめん」  苦い表情で、千景は謝った。ただただ、申し訳なかった。「俺が悪かったんだ、あんな人通りがあるところでーー」 「違う。そうじゃない」  謝罪の言葉が遮られる。岳はため息をつくと、ゆっくりとかぶりを振り、千景から視線を逸らした。 「確かに、あれにはビビッた。けど、怒ったりとか、そういうんじゃない……俺自身の問題だ……」 「……久我くん自身の?」 「……あぁ、くそッ」  ……いったい、どうしたのだろう。  怒っていないと言ってくれているが、千景が大胆な行為に突っ走ってから、明らかに様子がおかしいではないか。ひどく困惑していると、岳はまた大きなため息をつき、自らの後頭部を乱雑に掻いた。 「悪い、シャワー借りていいか?」 「へ?」 「頭ん中、整理させて」  そう言って岳は、靴を脱いで颯爽と部屋にあがると、ベッドにショルダーバッグを置いてバスルームへと消えていった。  玄関にひとり、取り残される。暗がりの中に静けさが混ざり込んできて、身体がそれに囲まれていくようだった。千景はへなへなと壁に背を預け、両手で顔を覆った。  ……何がなんだか、分からない。  それよりも、猛烈な自己嫌悪が肉や皮膚を突き破って外に飛び出しそうだった。インナーシャツが肌に張りつくほどに、冷や汗をたっぷりとかいている。胸のうちでも、だらだらとそれが流れているようだった。  何にせよ、馬鹿なことをしでかし、岳を困らせたのは確かだ。彼を繋ぎとめたいがために必死になり過ぎた自分を、タコ殴りにしてやりたい。  あまりにも自分本位だった。自らの欲望や焦燥感ばかりが頭に占め、岳の胸中を度外視にしていた。さぞ、迷惑だったに違いない。愛想を尽かされても仕方ないだろう。……いや、そもそも尽かされるほどの愛想を持たれているのか、どうか。  ……でも。  千景は感覚のない指先で、自らの唇に触れた。そこはいまだに、口づけの感触を残していた。獣じみていて、けれども柔らかくて、熱い岳の唇が、ここにむしゃぶりついてきたことを思い出すだけで、身体の芯がじくりと疼く。

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