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2018年12月4日-2

「仕事で何かあったのか?」  きっと違うだろうと思いながらも訊ねれば、案の定、岳は小さくかぶりを振った。 「MRくんと、何かあったんだな?」  反応はない。こういう時はだいたい、そうだと認めていると捉えて良かった。  MRくん……本名は確か、皆川 千景くんだったか。  大手製薬会社の営業マンだという彼は、岳が想いを寄せている相手だ。岳から話を聞く限りかなりの美形で、遊び慣れているのにまったく浮ついておらず、むしろ真面目で思慮深い人物のようだった。人柄の良さは、岳が彼に不徳をはたらいた際のやり取りを聞いただけで、十分過ぎるほど伝わっていた。  そんな青年が、羽を広げ、樹々の枝から枝へ次々と移っていく鳥のように、様々な男性と変わるがわる関係を持つらしいことに、貴久は違和感を覚えていた。……が、それは今は置いておこう。  ともかく、あれだけ過去に縛られ、それ故に臆病で、他人には滅多に心を開かなかったのに。岳はMRくんに恋情を抱き、勇気を出してその距離を縮めようとしていた。  彼のような心優しい人であれば、岳のすべてをきっと、包み込んでくれるだろう。岳も彼を想うのであれば、雁字搦めになった心を解き、前を向いて生きていこうとするだろう。  だからこそ貴久や優一も、岳の恋の成就を心の底から願っていた。  けれども岳は今、これ以上……、いや、これ以下はないと言った方が適切なのだろうか。それほどまでに落胆している。  ということは……、そういうことなのだろうか。 「全部、伝えたのか?」 「その前にいきなり、もう会えないって言われた」  貴久は細い目を見開き、眉間に皺を寄せた。「なんで?」 「知るかよ」  ぞんざいに答え、岳はのっそりと頭をあげた。……酷い顔だった。肌は土のような色をしており、瞳は虚ろで、髭は生えっぱなしだ。これで見窄らしい服装でもしていれば、人によっては浮浪者だと思うだろう。  生身の人間らしさがほとんど感じ取れない。そんな表情で、岳はぼうっと虚空を見つめだした。  ……重傷だ。  貴久は内心、困惑していた。岳の話を聞いていた限りでは、MRくんとはとても良い雰囲気の中、食事やデートを重ねていたようだったのに。彼と行った店、食べたもの、観た映画のこと、彼との会話……。デートを終える度にこの家に帰ってきては、岳は自分や優一にそれらを報告してくれていた。捻くれ者で、感情を素直に表さないながらも、どことなく嬉しそうにしていたので、自分たちも嬉々としながら話を聞いていた。  なのに、だ。 「理由は? 訊いたのか?」 「……『その方がお互いのためだ。君も本当は分かってるはずだ』……それ以上は何も言われなかった」 「そんなこと言われる心当たりは?」 「うるせぇな。ねーよ」  岳はそれから、もう何も話したくないと言わんばかりに横臥し、こたつ布団を被ってしまった。大きなため息が聞こえたのち、リビングに静寂が広がっていく。  ……貴久は、ますます困惑していた。  お互いのため、君も本当は分かっているはず……。言われた本人でさえも、その発言の真意を掴めず、ただただ突き放されてしまい、ひどいショックを受けているのだから、応援席にいる自分が理解できず、もやもやとするのは、至極当然のことだった。  もし、優一がこの場にいたら、彼も絶対に納得しないだろう。はっきりとした理由が分からないのに、「そうなの。それは残念だったわね」と言って肩を落とすわけがない。  MRくんに何があったのか。  何かがあったから、 岳と縁を切ろうとしたのだ。  その理由を詳しく知らなければ、とてもじゃないが納得できない。  この現状を、結末にしてはならない。  ……貴久は決心した。  お節介だの何だのと、言われても構わない。  岳が彼から聞き出せなかったのなら、自分たちが知り得たらいいのだ。  MRくんに会いに行こう。会って話を聞いて、事の真相を明らかにしよう。  眠気と疲労で(よど)んでいたはずの貴久の身体に、燃えるようなやる気が満ちていった。

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