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2019年2月1日-2
彼と付き合って、1ヶ月が経過した。今のところ、おおむね順調だ。
日に日に、岳への愛情が増している。最近は、彼のことを考えているだけで、とくとくと胸が高鳴り、ふにゃりと頬が緩んでいたりする。彼と一緒にいる時に至っては、「顔がデレデレし過ぎ」と指摘される有り様だった。
そういう岳も、以前に比べて笑顔が増えたように思える。千景のような喜色満面の笑みではなく、あくまでも彼らしいクールなものだが、こちらにつられて破顔することもあり、それがとても可愛かった。
時々、ちょっとした意見の衝突があったり、相手への不満を口にしたりすることもあるが、そこから喧嘩に発展することは、今のところはなかった。話し合った上で相手の言い分に理解を示し、どちらかが譲歩し、互いの価値観を擦り合わせてきた。
他人と、しかも恋人という何があっても嫌われたくない相手とそんなことができるなんて、これまでの千景には考えられないことであった。
昔の男と交際していた時は、思えば何かと相手の言いなりになっていた。
会う時は必ず千景の家で、それも週に一度だけだった。こちらから連絡するのは禁止されており、フレグランスの匂いが苦手だと言うので、彼といる時は一度も薫らせたことがなかった。煙草を吸うなと、きつく咎められたこともあった。
あの時はそのすべてに、自分の中で何かと理由をつけ、承服しかねることですら無理やりそうさせていた。そして、従順な笑顔を相手に向け、「分かった」と頷くのみだった。
……どれもこれも、自分との浮気を隠蔽するための画策だったのだと、恋の熱に浮かされていた当時は気づけなかった。愚かな男だと、今でも自らをせせら嗤いたくなる。
そんな、過剰に相手を気遣うあまり、本音を押し殺しがちになる千景の性格を、岳には知られていた。
そのため彼の前では、《良い人》や《余裕たっぷりの大人》でいることができなくなっている。少しでもそういった姿を見せれば、むくれた表情をされる。それから、「本当はどうしたい?」とか、「俺に言いたいことがあんだろ?」とか、「俺には気を遣うな」と言われるので、本心を晒さざるを得なくなっている。その中には、子どもっぽい我が儘も含まれていた。
「こんな俺でも、嫌じゃない?」
前に、おそるおそるそう訊ねたことがある。岳は仏頂面で「たまにイラッとする」と答えながらも、「けど、本音を言ってくれねー方が嫌だ」とも言っていた。「でも、こんなのが続いたら、愛想尽かさないか?」と訊けば、「それだけは絶対に有り得ねぇよ」とぶっきらぼうに即答されるのだった。
岳は、言えなくて、あるいは言いたくなくて黙っていることはあっても、嘘はつかない。いや、つけないタイプだ。
すき焼きと、自分と岳の肝煎りになってくれたお礼、それから彼との交際を報告するため、年明けにビールの詰め合わせを持って久我家を訪ねた際、優一と貴久は手放しで喜び、千景たちを祝福してくれた。その時に、彼らもそう言っていた。
岳はいつだって、自分にも他人にも正直に生きている。ひねた言動が多いのも、素直な性格からくるものだと言っていいだろう。
そんな彼だからこそ、自分は心底惚れたのだ。
未来のことなど誰にも分からず、保証なんてできない。
そうであっても、千景は岳を信じている。
そして自分も、誠実な人間であろうと思わされたのだった。
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