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2019年2月16日-2

 優一のように、腕時計を確認する。約束の時間まで、後3分だった。  ふいに、頭の中で疑問が灯る。これまで、どうして出てこなかったのだろうか不思議に思うほどの、初歩的な疑問だった。「なぁ」と、岳は優一に声をかけた。 「アンタがあの男に会おうと思った理由……」 「ええ」 「ちゃんと聞いてねーなって」 「……そう言えば、言ってなかったわね」 優一は青白い顔に苦笑を混ぜた。「そうね……俺は……ーー」  コツ、コツ、と革靴の硬い足音が耳に入ってきた。  人々の声、音楽、物音などがあちこちから聞こえる中、それはありふれた音だったが、不思議なものだ。いやに耳につき、岳ははっと視線をそちらへ向けた。  それとほぼ同時だった。テーブルの前で足を止めた男は、血色の悪い顔をぐっと強ばらせ、岳たちに折り目正しく会釈をした。  それから顔をあげ、「座っても?」と訊ねてくる。極度の緊張を抑えつけているのだろう、男の細い声は震えていた。  ……答えは決まっていた。けれども、自分が答えていいのかどうか分からず、助けを求めるように岳は優一に目配せした。が、その瞬間、ぎょっとした。  優一は男を見上げながら、静かに涙を溢していた。  約13年ぶりにその姿を視界に映し、緊張が極限にまで達したのか、それとも整理できない感情が爆発したのか。大雨にさらされた車のフロントガラスのように、優一の顔はそれでまみれていた。  ……自分も死ぬほど緊張し、とてもじゃないが平静でいられないと思っていた。  けれども今、この瞬間、岳は一気に奮い立ったのだ。  俺がしっかりしないとダメだ、と。 「あぁ」と、硬い声で応じる。すると相手は少しだけ表情を緩め、岳たちの向かいに座った。  ……13年という年月が、いかに長く、重々しいものだったのか。その風采が克明に物語っていた。  まず、丸刈りにされた頭は全体的に灰色だった。額には弛んだ横皺が入っており、形を整えていないぼさぼさの眉の間には、うっすらと縦皺が刻まれていた。顔の輪郭はげっそりと痩せこけていながら、どこかぼんやりとしている。眼窩(がんか)は窪み、その周辺の皮膚は燻み、切れ長の細い目は、淀んだ光を孕んでいた。頬骨はくっきりと浮き、口角は(おもり)を吊るされたかのようにだらりと垂れ下がっている。口周りの剃り残された髭もほとんどが白く、がさがさに乾いた唇は紫色だった。  ぺしゃんこの黒いダウンジャケットを脱ぐと、白のワイシャツに紺色のカーディガンを着ていた。この日のために買ったのだろうか、汚れやほつれはない。身体は、随分と薄っぺらくなっていた。刑務所での規則正しい生活に加え、心労を積み重ねてきた結果なのだろう。  大手電機メーカーの営業マンとして精力的に働き、息子の前では明朗快活に振る舞っていた頃の面影は、どこにもなかった。52歳にしてはえらく老け込み、まるで覇気がない。もっと言ってしまえば、死んでいるように生きているといった雰囲気が、彼の周りにどんよりと漂っていた。  これが、自分の父親。  久我 晃一だった。

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