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2019年2月16日-3

 晃一はメニュー表を持ってきた若い女性店員の目を見ることなく、「ホットで」とだけ告げると、鬱屈とした息を吐き、目を伏せた。その様子を、岳は黙って見ていた。優一も何も言わず、ショルダーバッグからハンカチを取り出し、次から次へと出てくる涙を拭っていた。 「……久しぶりだな」  晃一の声は、先ほどよりは太く、聞き取りやすくなっていた。本人は微笑んでいるつもりなのだろうが、唇のかたちは歪だった。もう何年も笑っていないに違いない。筋肉が錆びつき、可動域が極端に狭まっているのだ。  晃一はまず、岳の顔を見た。それから、優一にも視線を向ける。……こちらの言葉を待っているのだと察した。けれども、何を言えばいいのか分からず、「あぁ」とだけ答えた。  十秒ほどの沈黙が流れた。周りのガヤガヤとした人声がなければ、店内を飽和させかねないほどの昏い沈黙だった。 「……元気そうで、何よりだ」  沈黙を破ったのは、またしても晃一だった。月並みの言葉にはこれといった感情はこもっておらず、賑やかな空気の中に瞬く間に消えていくようだった。 「お陰様で」  岳もまた、淡々とした口調で応じた。極度の緊張のせいで、激しく震えそうな身体を抑えつけてはいるが、感情はさほど昂ぶっていない。眼前の男に対する、常に腹の底でどろどろと渦巻いていた怒りや憎しみは、不思議と迫りあがってこなかった。  ……これならば冷静に、晃一と向き合えるかも知れない。 「時間を取らせてしまって、申し訳ない。……面会に応じてくれて、ありがとう」 「……あぁ」 「……面会」  ハンカチをおろした優一が、鼻にかかった声で咳払いをしてから、ぼそりと口を開いた。 「どうして、面会しようと思ったんですか?」  他人行儀な物言いだった。  いや、そもそも優一は、逮捕以前より晃一と不仲だったと聞いている。ゲイでオンナっ気がある優一を、最初に晃一が毛嫌いし、ふたりの間に溝が生じたという。  思えば幼い頃、両親と久我家を訪れた際、ふたりは常に会話はおろか、目を合わせることすらしていなかった。あの頃にはもう、取り返しがつかないほどに関係が悪化していたのだろう。  なので、優一の態度としては、これが普通なのかも知れない。  晃一は、鈍い色の双眸に何とも言えない色を混ぜると、優一に目顔を向けた。 「一度でいいから、お前たちの顔が見たいと思ったんだ」  先ほどの店員が、注文した物を持って来た。「お待たせ致しましたー、ホットコーヒーでーす」とこのテーブルに限ってはひどく場違いな明るい笑顔と声でホットコーヒーを置くと、「ごゆっくりどーぞー」と言って頭を下げ、テーブルを離れていった。  晃一はコーヒーに手をつけようとはしなかった。

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