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森孝くんと結しゃんの話9
翌朝、朝食を食べた後、家を出た。
駅の通路に張られた鏡を横目で見て、姿を確認する。
長髪のウィッグに、柔らかそうなモヘアのコート、ニットのワンピース。160センチは超えているので、ブーツのヒールはちょっと控えめ。マニキュアは少しはみ出たけど、メイクはばっちりだ。
人と目が合うたび、男だと見抜かれていないかひやひやするけれど、大丈夫だと……信じたい。
イベント会場の最寄駅で電車を降り、目的地に向かった。目当てのブースにたどり着くという時、
「ねぇねぇねぇ、きみ、一人で来たの? ……ドゥヒィッ」
いきなり耳元で声がした。
吐息が聞こえるほど間近だったので、慌てて距離をとる。だけど人が多くて、あまり遠くへは行けなかった。
ドゥヒィッと変な声で笑った男の人は、呪文のように何か呟きながら、ぼくの腕をつかんできた。とたんに変な汗が吹き出てくる。
どうしよう、どうしよう。
周りを見回してみても、助けてくれる人はいなそうだ。ぼくだって同じ立場なら、見ていることしかできなかっただろう。
目が合っても見て見ぬふり。都会の無関心さが心地良かったはずなのに、今はすごく心細い。
「離して、ください……っ」
腕を振りほどこうとしてみたけど、ぼくよりも力が強くてどうにもならなかった。パパに昔習わされた空手、もう少し真面目にやっておけばよかった。
後悔していると、凛と通る声がした。
「すみません、ちょっと道あけてもらっていいですか」
ぼくと変な人の間に、男の人がずいっと体を入れる。男の人は、ぼくを守るように一歩下がらせた。
ぼくより10センチくらい高いだろうか。白に近い金髪で、ライオンのような髪型をしている。今流行りのダンスグループのメンバーみたいな、少しガラの悪い服装だ。悪そうな雰囲気とは違って、女の子に好かれそうな甘い顔立ちをしている。
マスクをつけているけど、どこかで見た覚えがあった。
どこだろう?
東京におじいちゃんとおばあちゃん以外の知り合いはいない。
金髪の人が、ドゥヒィッと笑う変な人の腕を捻り上げた時、シルバーの指輪同士が擦り合わさって、ギリギリと音が鳴った。
――あ。
同じ学年の、D組の人だ。
〝メリケンのかわりにつけてんの〟と、友達に笑いながら言っていた声を思い出す。
そういえば校内でもこのゲームは流行っている。こんな地元から離れた場所でまさかと思ったが、あり得なくはない。
嫌だ。嫌だ。
中学生の時、おかまっぽいからという理由でいじめられていたことがフラッシュバックする。
わざわざ家から電車で一時間もかかる高校を選んだのに、中学の時と同じ思いをするんだろうか。
どうしたら、こんな服装をしていたことを誤魔化せるだろう。
頭が真っ白で、D組の人に声をかけられるまで、ドゥヒィッと笑う変な人が居なくなっていることに気づかなかった。
確か、D組の人は森孝と呼ばれていたはずだ。
森孝くんがマスクを下ろし、心配そうにぼくの顔を覗き込む。
「大丈夫? 強烈なのに、絡まれたね」
森孝くんは、「さっきも言ったけど」と前置きをして、自分のハンドルネームを名乗った。丁寧に綴りまで教えてくれる。
morireはもりしゃんであり、森孝くんである。
とてもシンプルだ。
だけど、D組の悪名高き? 遊び人の森孝くんと、ぼくだけが好きだと言ってくれたもりしゃんが頭の中で繋がらない。
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