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明和工業大学は理系の超難関だ。
小中の同級生でひとり明工大に行ったひとがいるけど、小学校の頃から常に秀才キャラだったし、他とはちょっと次元が違う感じがした。
そんな異次元のひとばっかりがいる学校に、蓮は普通にいるんだ。
その中でも、一目置かれる存在。
「どうしよっか。書類出して、先生たちから課題もらって回るから、1時間くらいかかるんだけど」
校門の前で、蓮は建物を指差しながらそう言った。
「学校の中見ることってできる?」
「散歩くらいなら全然余裕。弓弦の見た目じゃ、入学希望の高校生が見学してるくらいに見えるかもな」
いひひと笑う蓮を、じとっと見る。
「でも、スマホ持ってないし、迷子になんないでね?」
「1時間経ったらまたここに戻ってくる」
「了解。じゃあまたあとで」
蓮はひらひらと手を振って、建物の中へ消えていった。
俺は小さな専門学校卒なので、大学というものに入ること自体が初めてだ。
案内板を見ると、敷地はかなり広く、校舎は何棟もある。
大きな図書館、講堂。学食のほかに、コンビニやファストフード店が入っているらしい。
校舎には入らず、外を散策する。
緑がいっぱいで、向こうのほうにはテニスコートが見えたり、本当、大きな公園に来ているみたいだ。
うろついていると、蓮のインタビュー記事で見た、カフェテリアのような学食が目に入った。
ガラス張りで、高い天井。
白を基調とした明るい空間で、一部骨組みの構造を隠さず出してオシャレな感じにしてある。
蓮が、ここに座って知らないひとたちと楽しげに話している、なんでもない日常を想像する。
やっぱり手が届かないひとになってしまうような……自分で呆れるくらいみみっちい寂しさを感じた。
目を細めてじっと見つめたあと、ふるふると首を横に振った。
蓮ははっきりと、置いていかないと言ってくれた。
俺は俺なりに、蓮がのびのびと学んで友達も大事にして、有意義に過ごせるようにフォローしていこう。
こんな風に、後ろ向きな考えをすっとやめられるようになったのも、蓮を好きになったおかげだと思う。
1時間フラフラして、校門の前に突っ立っていると、ニコニコした蓮がピースしながら歩いてきた。
「お待たせ」
「どう? 大丈夫だった?」
「うん。無事受理されまして、こんな感じよ」
行きはぺたんこだったリュックが、登山にても行くのかというくらい分厚くなっている。
「レポートに使う本借りたら、こんななっちゃった」
「すごい量だね。無理にならない? 大丈夫?」
「弓弦のおいしいご飯食べないと死んじゃう」
誰かに見られたらまずいのではとこちらが心配になるくらい、甘えたな顔をしていた。
その足で携帯ショップに行き、俺のスマホを契約して、帰ってきた。
元々持っていたスマホに新規契約のSIMに差し込むだけなので、なんてことはない話なのだけど……全部まっさらからスタートするような、晴れやかな気持ちになった。
連絡先一覧には、蓮の番号だけ。
「試しにかけてみていい?」
「うん、いいよ」
意味もなく、隣に座っている蓮にかけてみる。
「もしもし。倉本蓮さんのお電話ですか?」
「はい。どちら様ですか?」
「仁井田弓弦です」
「あれ? 仁井田さん? ……は、亡くなられたはずでは?」
「それとは別の仁井田弓弦です。割と自由な」
「なるほど。こんにちは」
唐突に切り、顔を見合わせたあと、大笑いする。
「なんだそれ。割と自由な仁井田弓弦ってなに」
「俺も知らない」
笑い転げながら、蓮の胴体にぎゅうぎゅうとしがみついた。
「じゃあ、割と自由な仕事を探そうと思うんで、見守っててもらえますか?」
「うん、いいよ」
ノートパソコンを開き、フリーランス向けサイトの会員登録画面へ。
必要事項を埋めながら、住所欄で手が止まった。
「どうしよ」
携帯ショップで手続きした時も、ここの住所を書いたあと免許証を出したら、つっこまれた。
そのときは『引っ越したばかりで、まだ免許の手続きに行っていない』と言って、切り抜けたけど。
「住民票、こっちに移しちゃえば?」
「え?」
「ちゃんと一緒に住も?」
大まじめな顔をしてさらっと言った蓮に、これ以上ないというほどにドキドキしてしまった。
ちゃんと一緒に。
ドキドキしすぎて、バカみたいに泣いた。
賃貸の契約書を見たら、このアパート自体は単身専用ではないらしいけど、入居人数が変わる場合は連絡をと書いてあった。
「もしもし、グリーンハイツ塔南寺201号室の倉本と申します。はい、お世話になってます……」
不動産会社を通すのは面倒だということで、直接オーナーさんに電話をする。
「はい、大丈夫です。きょうはもう外出しないので。はい、お待ちしてます。失礼します」
電話を切った蓮は、キッチンを指さした。
「もうすぐ更新だし部屋の現状も見たいということで、いまからオーナーさんがいらっしゃいます。片付けだっ」
「え? 来るの?」
「10分で来るってさ」
「うわっ、やばい」
俺はキッチンに、蓮はユニットバスに駆け込んで、慌てて掃除をした。
そして、10分きっちり経ったところで、チャイムが鳴った。
蓮が扉を開けると、生真面目そうな、40代くらいの男性。
「オーナーの桂川 です」
「こんにちは。どうぞ」
「お邪魔します」
入ってきたところで、目が合う。桂川さんは、なぜか驚いたように目を見開いた。
「はじめまして。入居希望の仁井田と申します」
頭を下げると、桂川さんはめがねのズレを直して、「どうも」と言って頭を下げた。
桂川さんにはソファに座ってもらって、俺たちはローテーブルを囲んで地べたに座る。
コーヒーを出すと、桂川さんは、蓮に向かって無表情のまま言った。
「てっきり、相手は女性かと」
「あ、すみません。先に言えば良かったですね」
「学生が入居人数をひとり増やしたいと言ってくるときは、恋人ができたときと相場が決まっているので」
「あはは、そうなんですか」
特にコメントをせず、ニコニコとかわす。
俺も特に何も言わず、黙ってコーヒーをすすった。
「普通のルームシェアですか?」
まさかの、俺の方に聞かれてしまった。
「えっと」
言い淀んでいると、蓮が助け舟を出してくれた。と思ったら。
「付き合ってるので、簡単に解消しないから大丈夫ですよ」
「ちょっ……」
全然助け舟じゃなくて、大慌てする。なんでそんな要らないこと言うんだよ。
どんな反応をされるかと、怖々桂川さんを見ると、涼しげな顔をしていた。
「ああ、なら安心です」
「え?」
「学生の同居で困るのは、喧嘩別れして住みづらくなって、ふたりとも引っ越してしまうことなので。ふわふわした付き合いたてのカップルとか、ノリの良すぎる友達同士だなと判断したら、お断りすることにしてるんですよ」
なるほど、それでわざわざ部屋を見にきたのか。
すぐ分かるなんて、蓮は鋭いなと思う。でも、ギャンブルすぎやしないか。
「……そういうの、偏見ないんですか?」
おそるおそる聞いてみると、桂川さんは小首をかしげた。
「ただの経営者なので、お住まいの方の趣味にどうこうは思わないですよ。これだけさらりとおっしゃるなら、信用に足るご関係なのでしょうし、長くお住まいいただけるのではと思いますから」
桂川さんは、鞄からA4サイズの茶封筒を取り出した。
「ただ、倉本さんが学生さんで、部屋の名義がお母様になっているので、ご連絡をしなければならないのですが。こちらからしますか?」
「いや、自分で連絡します。母から桂川さんには電話するように言っておけばいいですか?」
「そうしてください」
その後は、更新手続きなどについてひととおり説明してもらって、桂川さんは、1度もニコリともせず帰っていった。
「変なひとだったな」
ケラケラと笑う蓮の背中を軽く叩く。
「なんてこと言うんだよ、びっくりした。気持ち悪いとか言って叩き出されたらどうするつもりだったの?」
「そんな人権侵害みたいなこと言うひとに見えなかったし、いっかなって」
ニコニコしながら、スマホを開く。
「親に電話していい?」
「あ……うん。どうぞ」
なんとなく、聞いちゃ悪いかなと思って、コーヒーを下げにキッチンに向かった。
と言ったって狭い家なので、電話の話し声なんて余裕で聞こえる。
「あ、もしもし。うん、元気。咳出なくなった。あのさ、あしたそっち帰ってもいいかな? 復学することにしたんだ。うん。あと、紹介したいひとがいる。うん、お付き合いしてるひと。一緒に住みたいなって思ってて。うん。24歳で、男のひとなんだけど」
――ガシャンッ
コップを取り落としてしまった。
嘘でしょ? 親御さんにまで言っちゃったの?
「一緒に来てもらうから、会って」
緊張して、吐きそうだ。
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