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蓮の実家は、電車で2時間くらい。
曰く『ど田舎とまではいかないけど、畑だらけなので、空がよく見えます』とのこと。
その道中、蓮はなんてことないように、母子家庭だと告げてきた。
お父さんは、蓮が中学1年生の時に、信号無視の車にはねられて亡くなったらしい。
「言ってなくてごめんな」
「死のうとしてた自分がますます恥ずかしいよ」
「関係ないだろ」
カタンカタンと揺れる車両には、真ん中あたりに並んで座る俺たちと、優先席でうたた寝するお年寄りがひとりだけ。
蓮に肩をちょっと引き寄せられたので、そのまま寄り掛かった。
「母ひとり子ひとりで、連れてきた恋人が男って、がっかりするんじゃないかな」
「そんなことないと思うけど。弓弦だし。まじめじゃん。それにうちのお母さん優しいよ」
「それは想像つく。蓮、素直だもん」
門前払いされたらどうしようとか、多少の不安はあったけど、蓮を育てたひとなのだと考えると、それはないかなと思った。
2階建ての一軒家。ちょっと外国風な、おしゃれな外装だ。
チャイムは鳴らさずに、鍵を開けて入る。
「ただいまー」
ぱたぱたと廊下の向こうからやってきたのは、蓮に似た綺麗なひと。
「おかえり。えっと、そちらが……」
「はじめまして。仁井田弓弦と申します」
「蓮の母の香子 です」
お互い頭を下げる。
まずは、お父さんの仏前に手を合わせた。
そっと盗み見ると、静かに目をつぶる蓮の横顔は、穏やかだ。
リビングに移動する途中、蓮が、柱をぺしぺしと叩きながら言った。
「この家、お父さんが死ぬちょっと前に建てたんだよ。注文住宅でさ。綺麗な家でうれしくって」
前を歩いていた香子さんが、少し振り返って、目を細める。
「そのあとすぐ死んじゃって、でもほら。ローン組んで家買うときって、団体信用保険って言って、死んだら返済チャラになる制度があって」
「あ、じゃあ……」
「そ。この家は、お父さんの置き土産。おかげさまで、お金に困ることもなくここまで育ててもらいました」
蓮が建築を志した理由が分かった。
4人掛けのダイニングテーブルに、俺と蓮で並んで、向こう側に香子さん。
お茶を出してくれたので、いただきますと言って口をつけた。
「男のひとだなんてどうしようかとびっくりしましたけど……偏見でごめんなさいね。テレビで見るオネエ系みたいな派手な人が来るのかと。まじめそうな方で安心しました」
「いえ。本当に突然ですみません」
ぺこっと頭を下げる。
「去年の秋、蓮が体調崩したと聞いて、本当に心配で。仕送りしようかと言っても断るし、お正月に帰ってきたときは顔色が悪かったから、無理してるんじゃないかって思っていたんですよ。でもいま見たら、元気そう。安心しました」
ほっとした顔の香子さんに、蓮がニコニコと微笑みかける。
「弓弦が来てくれてから、体調いいんだ。お医者さんからもOKもらって、学校も届け出済み。3~4日で書類届くと思うから」
「そういうのは先に相談しなさい」
「ごめんごめん」
えへへと笑う蓮は、子供みたいだ。
香子さんは、眉根を寄せて笑いながら、ため息をついた。
「こういう子なんです。いいと思ったことに、周りになんの相談もなしにぱっと飛びついちゃう」
「僕は蓮さんのそういうところにいつも助けられています」
「そうなんですか?」
「はい。蓮さんは、普通のひとなら二の足を踏むところを軽々と超えていくので」
少し笑ってみせると、香子さんも、同意して笑ってくれた。
「まあ、オレが変なことしても、弓弦がしっかりしてるから今後は大丈夫だよ」
「どうぞ、蓮をよろしくお願いします」
まさかそんな風に頭を下げられると思っていなくて、恐縮しつつ、「こちらこそ」とかなんとか言ってペコペコした。
たったひとりの大事な息子を、どこの誰だかも分からない男に託す。
なんて心の広いひとなんだろうと思うと同時に、本当にふたりの絆は強いんだなと思った。
我が子の意志とか直感とか、そういうものを、絶対的に信頼しているんだろうと思う。
「ところで……」
香子さんは、とても言いにくそうに、俺たちの顔を見比べて言った。
「ふたりの出会いは?」
蓮が、困ったようにこちらを見る。
俺は小さく首を横に振って、自分から口を開いた。
「お恥ずかしながら、僕が飛び降り自殺しようとしていたところを、偶然蓮さんに引き止められました。それから2ヶ月ほど、居候のような形でおります」
香子さんは、口元に手を当てて目を丸くしたあと、先ほど同様、困ったように微笑んだ。
「また偏見でごめんなさい。そういう場所に蓮が出入りしていたのかと。まあ、それも別に悪いことじゃないでしょうけど……母親としては複雑で」
「それはそうですよね。こんな風に好意的に受け止めてくださって、本当にありがたいです」
「いえいえ。誠実な方だなと、お話ししていて分かりますよ」
蓮は、満面の笑みで言う。
「このまま一緒に住みたいと思ってるんだ。いい?」
「仁井田さんがいいならいいけど。自殺を考えていたんですよね? もう大丈夫なんですか?」
香子さんは、心配そうに俺をのぞき込んだ。
「いまは大丈夫です。仕事のことで悩んでいたのが原因なんですが、独立することにしたのと……蓮さんがいますので」
こんなこと、いままでの俺だったら絶対に言えなかったけど、自分でも不思議なくらい、自然と口から出た。
香子さんと蓮は、同じ顔で笑っていた。
「こんなふわふわっとした子ですけど、お役に立てれば」
黙って頭を下げると、蓮は満面の笑みで俺と香子さんを見た。
「蓮、うれしそうね」
「大好きなひとと大事な母親が仲良くしてくれたら、うれしいに決まってるだろ?」
こんな風に、気持ちをまっすぐにひとに伝えられる蓮が、愛しいと思う。
帰る前に、少しだけ蓮の部屋に案内してもらった。
入ってすぐに、大きな本棚。
勉強の本がびっしりかと思いきや、大量の漫画だった。
「オレのお年玉の結晶な」
にひひと笑う。
ラインナップを見ようと思ってちょっと腰をかがめたら、腕を引っ張られて、そのままキスされた。
「うわ、びっくりした」
身を引こうとしたら、腕をがっちりつかまれた。
「あのさ。いまから弓弦の実家行こ?」
「へ?」
「オレ分かった。やっぱ子供は親に顔見せるべきだ。ご両親もお兄さんも、絶対心配してる」
「いや……」
大まじめな顔で言われてしまって、二の句が継げなかった。
そんなこと言われても、急すぎる。けど、蓮の言うことは正しかった。
それに、こんな勢いでもなければ、親に連絡なんてできないかもしれない。
「……分かった」
スマホを取り出し、実家の番号を押す。
手が震えて何度も消していたら、後ろから抱きしめてくれた――失踪翌日、同じようにしてもらいながら着信履歴を見たことを思い出す。
呼び出し音がしばらく鳴ったあと、電話がつながった。
「もしもし」
母親の声だ。一瞬言葉に詰まったけど、絞り出した。
「ごめん、俺。弓弦」
「弓弦!?」
悲鳴のような声だった。
「どこにいるの!? 無事なの!?」
「ごめんなさい。手紙読んだ?」
母は言葉になっていない言葉を叫びながら、泣いている。
「塔南寺にいる。手紙にも書いたけど、助けてくれたひとと同居してて。いまからそのひとと一緒に帰ってもいいかな」
嗚咽 を漏らしながら、待っていると言われた。
「父さんと兄ちゃんは?」
「いる……いるから。急がなくていいから、事故に気をつけて……」
そう言ったきり、またわーわーと泣く。
3時間くらいで行くと告げ、電話を切った。
「お母さん、なんて?」
「3人で待っててくれるって」
「良かったな。よし、早く行こう」
香子さんに丁寧にお礼を言い、少し急いで駅へ向かった。
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