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ゲイバーアンビシャスへの再来前日譚18
男は一旦高橋から離れると、よろけながら数歩だけ後退りした。
持っている果物ナイフが鮮血で汚れているというのに、街灯の明かりを受けてきらりと光ったように目に映ったのは、痛みをやり過ごすのに顔を歪ませていたせいかもしれない。
「キャーッ!」
高橋たちの惨劇を目の当たりにした通行人の誰かが叫んだのを合図にしたのか、男がふたたび突進してくる。どこを刺されてもいいように下半身に重心を置きながら、突っ立ったまま衝撃を受け止めた。
勢いよく突進されたせいでぐらりと躰がふらつき、無様にその場へ倒れ込む。
人形のように力なく倒れた高橋の上に男は急いで跨り、果物ナイフを両手で持って振り上げた。怒りに血走った瞳が、自分をじっと見下ろしてくる。
それには目を合わせずに、このあと振り下ろされるであろう果物ナイフだけを見つめた。
牧野にこき使われる毎日を、綺麗に断ち切ってくれるものとして。そして青年への想いをなくしてくれる神聖な道具という気持ちを持って、微笑みながらそれを凝視した。
「お前なんか、死んでしまえばいいんだ!」
笑ったままでいる高橋の躰に、果物ナイフが下ろされる。何度も振り下ろされた状態でいたのにずっと笑うことができたのは、元恋人が提供した高いアルコール度数の美味かった酒の効能だった。
(最後の最期まで、アイツに頼りっぱなしになってしまったな――)
刺される感覚がなくなった高橋の上から、通行人の手によって男が引き離される。入れ違いに誰かが顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか? しっかりしてくださいっ」
自分の頬を軽く叩きながら、意識を確認した相手に顔を向けた。
夜目でも分かる、美麗な顔立ちの若い青年――茶色い髪の下にある目元に、色っぽい泣きぼくろがあって、心配そうな面持ちで高橋を眺める。
「周防は患者の介抱をしてくれ。俺は救急車に状況を連絡する!」
「分かりました、お願いします」
傍にいた中年の男性が指示をすると、高橋の脇に控えていた周防と呼ばれた男性が出血している部分を確認すべく、スーツの上着を脱がしにかかった。
「君は――」
男性の手を迷うことなく握りしめ、その動きを止めながら息も絶えだえといった感じで、高橋は質問を投げかけた。
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