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第2話 『アンティークの王子様』②

 まるで、時間が止まったようだった。  のしかかる重みと、体内の異物感がスッと消えた。その代わり、背中の上にぼとりと何かが落ちてくる感触があった。振り返って見るまでもなく、そこにあったのは精巧にできたアンティークの人形だった。  陶器でできた白い肌、宝石のような青い瞳、ライオンのたてがみのような金の巻き毛。その顔が、さっきまでと違って少し悲しそうに見えるのは、単なる角度の違いかな。  僕はせかせかとズボンをはくと、人形の服の乱れも出来る範囲で元通りに直した。そして新聞紙でグルグル巻きにした後、スーパーの袋に入れて玄関の外へ持って出た。  おっかない人形だ。  じとっと見つめてくるだけの市松人形なんか勝負にならないほど、桁外れに危険だ。  すみやかに燃えるゴミの日に出してやろうと思ったけど、運悪く三日も先。それにうっかりさっきのイケメン外国人が『熱いよ~』なんて言ってるところが頭に浮かんでしまった。でも、こんなものは絶対に置いとけない!  僕は夜になるのを待って、質屋の前にそれをそっと置いてくることにした。見た目はすごくよくできてるし、とてもきれいな王子様だから、どうぞ女の子の家にでも迎えられて可愛がられてください。  軽く手を合わせてシャッターの前に置き去りにする。きっとこうやって世の中の曰く付きの代物は人の手を渡っていくんだろうなと思いながら。  ――――のに、次の日の朝目が覚めたら、ここにいた。  部屋の中の、最初と同じ壁際に。昨日と違うのは首ががっくりと下を向いて顔が見えないことだ。  ちょっと待て。これは結構怖いぞ。  だって、鍵をかけた部屋の中にゲイのレイプ魔が入ってきてるようなものじゃないか。オカルト現象よりも怖い、物理的な危機だ。  僕は新しい袋に慌ただしく奴を詰め込んで、今度は公園に足を向けた。  真昼間の公園は陽の光が降り注いで、温かくて気持ちいい。多少の悪いものは消えていくような気がする。霊とか呪いとかが陽の光に弱いのは、実は紫外線殺菌されているんじゃないかと僕は密かに思ってる。そんなことはどうでもいいか。  お昼近い公園には、時間が半端なせいか誰もいなかったけど、もう少ししたらお昼時だ。それに夕方になれば近所の学校帰りの子供たちが遊びに来る。ちょっと無責任かもしれないけど、あの部屋が特殊なのも悪く作用している気がするから、他所なら大丈夫かもしれない。  僕はちょうど程よい高さにある枝に袋をつりさげて、誰にも聞かれないように囁いた。 「いいか、僕の家は駄目だ。誰かいい人に拾ってもらって。でないと燃えるゴミの日に捨てちゃうよ。ぺしゃんこに潰された上に、燃やされるんだからね」  よくよく念押しした後、置き去りにした。  まるで動物を捨てていくような罪悪感。でもこれは可哀想な子猫じゃないんだ。何かのはずみで人間になったうえ、尻を狙ってくるような始末の悪い呪いの人形だ。そう、きっと呪いの人形なんだ。  今朝、部屋の中に戻ってきていたのを見つけた時の恐ろしさを思い出す。あれはどうやって僕の部屋まで戻ってきたんだろう。自力で歩いてきたのか、それとも誰かに拾わせて運ばせたのか。そして、新聞受けから這い上がってきたんだろうか。  ゾワリ、と背筋が寒くなったのを感じて、僕は足早に部屋に戻ると愛用のPCを立ち上げた。この感覚を忘れてしまわないうちに、物語にしたい。僕はご飯を食べる暇も惜しんでぶっ続けでキーボードを打ちまくって打ちまくって打ちまくって――――気がつけば次の日の朝になっていた。  出来上がったのは短編が三本。勿論推敲はまだまだこれからだけど、結構いい話ができたと思う。  何時間机に向かっていただろう。さすがに両手の動きが鈍いし、目も霞む。  ベッドの上にぶっ倒れて目を閉じると、駐車場から出ていく車やバイクの音、遠くクラクションも聞こえる。世間様はご出勤のお時間だ。  日常だなぁと思いながら、僕は眠りに引き込まれていった。  次に目が覚めた時には、もう部屋の中は薄暗かった。  起き上がって電気をつけようとして、僕は固まった。何か息苦しいと思ったら、胸の上に見覚えのある人形が足を投げ出すような格好で座っていたからだ。なんとなく、そうなる気もしたから驚きは少ない。  俯き加減の白い顔が、愁いを含んだ表情で僕を見つめていた。 「……戻ってきちゃ駄目だって言っただろ。本当に、明日捨てるよ」  明日は燃えるゴミの日だ。  この部屋には今までにも色んな曰く付きの品物が持ってこられた。中には祟ると言われた品物もある。僕はそれらが燃える素材である限り、例外なく可燃ゴミに出してきた。その筋の人から見れば乱暴な取り扱いかもしれないけど、燃えて浄化されることに大きな違いはない。この人形の運命もそれで決まりだ。決まりなんだけど……。  今回に限って躊躇いがあるのは、これが人間になったところを見てしまったせいだ。言葉は通じないけど、顔を真っ赤にして喜ぶ顔や、鼓動を刻む温かい人間の体に触れてしまった。  正直なところ、僕はこういった不思議なものたちがどうやって消えていくのかを知っているわけじゃない。僕の霊感はそんなに強いものじゃなくて、ただ見えて聞こえて触れて、祟りや呪いの持つ負の影響を受けにくいってだけ。燃やされたものたちの思念みたいなものが、一体どうなったのかは知らないんだ。  いっそこの人形が恨みも露わなおどろおどろしい雰囲気を持っていたら、燃やすことに躊躇いなんかなかった。きっと本人(?)もその方が解放されて楽なんだと思うし。  けれどこの王子様はただただ悲し気で。縋るような目で僕を見てくる……気がする。  僕は手を伸ばして人形の小さな頭を指先で撫でた。柔らかい金の巻き毛を爪先で整え、シャープな線を描く頬を指の腹で愛撫した。  人形の小さな睫毛が震えたような気がした。青いガラスの瞳が、キラキラと潤んでいるようにも。  明日の朝には捨てられ、燃やされる運命を、この人形は理解しているのかもしれない。それでも僕の所へ戻ってきた。一縷の望みに全てを賭けるように。  どんな経緯があって人間になる力を持つようになったのかは分からない。もしくはお伽話のように人間が呪いで人形にされたって可能性もあるかもしれない。  どっちにしても、この人形は明日になれば僕の手でゴミ置き場に運ばれて、燃やされてしまう。僕は呪いの品を例外なく可燃ゴミに出す主義だし、それで祟られたこともない。それでお別れだ。  そう、こんな人形に情けをかけて手元に置いておいても、いいことなんか一つもない。万が一呪いが解けて人間になってしまったりしたら、一体誰が養うっていうんだ。言葉も通じないし、とても現代の社会に馴染みそうもない、この王子様を。  僕と同じ食事で良いのかもわからないし、『絹の服でなければ袖を通さない』とか言われても困るし、トイレとお風呂の使い方から教えなくちゃいけない。イケメン過ぎて外に出たら注目の的だし、不法滞在者だと思われて警察に踏み込まれるかもしれないし、病気になっても病院にも連れていけない。困ることだらけだ。  だけど、何とかなる気がしなくもない。  呪いが解ければ、それはもう呪いの品じゃない。太陽の下で失った時間を取り戻せるかもしれない。いつか言葉も通じるようになって、故郷に戻れる日が来るかもしれない。そうでなくても、頑張ればきっと何とかなる。  僕は王子様の小さなお鼻に指先で触れながら、呪いを解く呪文を口にした。 「王子様の呪いが解けて、人間に戻れますように」  言い終るや否や、僕は胸が押しつぶされそうな圧迫感に襲われて、うめき声をあげた。

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