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第4話 『アンティークの王子様』④

 僕たちは抱き合って暫く余韻を堪能していた。  けれど、突然何かに気付いたように王子様は体を離すと、慌ただしい仕草で乱れた服を元通りにした。身支度が整えば、ますます輝かしい王子様振りだ。  体の力が抜けてしまってまだ起き上がれない僕は、それをぼんやりと見ていた。そうしたら、王子様は僕をベッドのシーツで包み込んで、お姫様のように抱き上げてしまった。  歩き出そうとする、その視線の先を辿ってみて、僕は思わず息を飲んだ。  僕の部屋の片隅、備え付けのクローゼットがあったはずの場所に、ぼんやりと外国の風景が映し出されていたんだ。  それが外国だと分かるのは、とても日本の風景とは思えない壮大さからだ。  広大な湖の上に白い神殿のようなものがいくつか建っている。遠くには天を突くような山脈が霞んで見え、弧を描いて湖に流れ込むいくつもの河と、その周囲を取り巻く果てしない緑の草原も見えた。  輪郭が滲んで見えるのは、空間と空間が一時的に繋がって歪みを生じているせいだろうか。  王子様は僕を抱えたまま、その風景に向かって足を踏み出した。 「ま、待って!」  僕は慌てて制止の声を上げた。 「待って!駄目だ、行かないよ!」  もがくようにして腕から逃れると、僕は床の上に降り立った。王子様が不思議そうな顔をして手を伸ばしてきたけど、僕はそれを遮るように首を振った。 「行かない」  王子様は、本当に魔法の呪いがかかった王子様だったのかもしれない。どんな力が働いたのかは分からないけど、呪いが解けて人間に戻れるのも、元の世界に戻れるのも、とても喜ばしいことだ。  けれど、そこに僕の存在は必要じゃない。 『…………』  王子様は言葉が通じないのがもどかしいと、膝を折って床に跪き、僕の手を恭しく両手に取った。運命のお姫様にするみたいに、手の甲にそっと口づけをする。  言葉が通じなくても分かる――――素敵なプロポーズだ。  けれど、僕は首を横に振った。僕は魔法使いでもないし、お姫様でもない。  しがないオカルト作家で、好きなものを書いて好きなように暮らして生きている。こここそが、僕の世界だ。  この先に広がっているのがどんなに素晴らしい世界でも、そこは僕の住処じゃない。 「僕は行かない。ここで王子様が幸せになれるよう祈ってるよ」  僕は彼が安心して戻れるように、笑みを浮かべた。  体を屈めて、僕は跪いた王子様の額に祝福の口づけを落とした。もしも僕の言葉に言霊の力が宿っているのなら、今こそその力を発揮するときだ。 「王子様は、もう二度と誰にも呪いをかけられないし、幸せな毎日を過ごせる」  思いを込めて、力強く言い切った。何の力もないかもしれないけど、せめてもの餞だ。  僕は王子様を立たせると、その体を草原の方へ押しやった。  王子様はまるで親と引き離される子供みたいに、悲し気な顔で僕の方を振り返ったけれど、僕は微笑って首を横に振った。やっと戻れるというのに、トボトボと歩いては僕の方を振り返る姿に、少し心が痛む。  そんな顔をしないで、王子様。僕はどうやら呪いを解くお手伝いができたようだけど、ここから先は一緒に行けないんだ。  僕は僕の、王子様は王子様の、居るべき世界で生きるべきだ。 「さようなら。……元気で!」  遠ざかっていく後姿に、僕は声を張り上げた。  最後に一度振り向いた輪郭が、滲むように曖昧になった。瞬きをするうちに、神殿も草原もぼやけて淡くなっていく。  やがて、現れた時と同じように唐突に、僕の部屋は全く元通りのただの部屋に戻った。  そこにあるのは、備え付けのクローゼットの飾り気ない扉だけ。アンティークの王子様ももういない。  長い夢でも見ていたみたいだ。  けれど夢ではなかった証拠に、僕のお尻はまだジンジンと疼いていて、下腹は少し重い。腰は怠くて、まだ少し痺れるような甘い余韻が残ってる。  あんなに連続してイキッぱなしになったのは人生で初めてだった。 「……官能小説、ってのもありかな……」  あの感覚を文字に書き起こすことができたら、結構リアルな官能小説が出来上がるはずだ。  官能的オカルト小説。うん、いけるかも。  物書きの端くれとしては、あらゆる経験は作品の肥やしにしなくちゃ。  でも、今はまだ体中が精気を吸い取られたみたいに怠くて、何もする気になれない。少し休んでから、今日の事を小説にしよう。  捨てても捨てても戻ってくる、呪いのアンティーク人形を……。    長くなってしまったけど、アンティークの王子様の話はこれでおしまい。  彼が本当は何者で、あれからどうなったのかは僕の知るところじゃない。聞いた人の想像力にお任せするよ。  もし機会があったら、次は別の話をしよう。  そう、今度は白い蛇神さまのお話なんかどうかな?

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