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第8話 『白い蛇神さま』④
水風呂で気を失っていたのが悪かったんだろう。それから三日間、僕は高熱を出して寝込んでしまった。
一人暮らしはこんな時つらい。
食事なんて作る気力もないままベッドの中に潜り込み、うんうん唸ってひたすら熱が下がるのを待つ。お腹も空かなかったし、トイレにもいかなかった。
四日目にたまたま連絡をくれた担当さんにお願いして、頼んだ差し入れが届く頃、やっと僕は布団から這い出す気力を得た。
「御木本先生がわざわざ編集部に電話してきて、水上先生に連絡するよう言ってこられてね」
僕に連絡した経緯を、担当さんはそう話した。
呑気にコンビニおにぎりを頬張っていた僕は、そぎ落としたように脳裏から消えていたことを思い出した。そう、蛇の置物だ。
すっかり忘れていたけど、まだお風呂場にあるんだろうか。それとも御木本先生の下へ戻ったのかな。
一人で見に行くのは、ちょっと怖い。もしかしてまたあの蛇に襲われたら――。
おにぎりをもぐもぐするのを止めて、どうしたものかと考え込んでいると、肩に担当さんの手が置かれた。
「先生……」
妙にねっとりした囁きに、僕は眉を片方上げる。
一体どうしたんだと思う間もなく、担当さんは鼻息を荒げながら僕に覆いかぶさってきた。
えええ!? どういうこと、なんで担当さんのズボンがテント張ってんの!?
「なにすんですか!? 駄目ですよ!駄目駄目!」
迫ってくる顔に食べかけのおにぎりを押し付けながら、断固として強く言うと、彼は我に返ったみたいにきょとんとした。
ベッドの上で僕を押し倒そうとしている体勢に気付くと、慌てた様子で体を離す。
「あ、あれ?? ……すみません、僕ちょっと……ちょっとおトイレお借りします!」
自分でも何がどうなったかよくわかっていないみたいだ。前屈みになりながら逃げていく後姿を、僕は呆然と眺めた。
なんだったんだろう。まるで催眠術にでもかかったみたいに、一瞬虚ろな目をしていたように見えたけど。
潰れて具のはみ出たおにぎりに視線を落とした僕は、あることに気が付いた。
そう言えば、僕は今眼鏡をかけていない。なのに、おにぎりのはみ出た具がはっきり見える。
信じられない思いで窓の外を見てみると、外の風景が驚くくらい綺麗にくっきりと見えた。見ようと思えば、道を歩く人の服装や、その襟元に着いた小さな社章まで見える。望遠鏡の倍率を上げるように、望めば望むだけ、どこまでもクリアに映し出されてくる。
「どうなって……」
空いた手で目を擦ると、頭の奥で声が響いた。
『器と魂魄の釣り合いが乱れて居ったので、少し整えた。宿代と思ってありがたく受け取れ』
「はぁ!?」
聞き覚えのある尊大な声は、あの蛇のものだ。
見回せば、さっきまで僕が寝ていたベッドの枕元に、例の蛇の置物が鎮座していた。
日の光を浴びて淡く輝く様子は神々しいと言えなくもなかったけど、何せ形が形だ。今更だけど、ベッドの中でこんなものを使ってアレコレしてるなんて思われたら堪ったものじゃない。
僕は慌ててそれをひっつかむと、ベッドの下に放り込んだ。間一髪、僕が体勢を整えるのと同時に、なにやらすっきりした様子の担当さんがトイレから出てきた。
『惜しいこと。精を絞ってやろうと思うたに……』
腹の底の方から恨めしげな蛇の呟きが聞こえる。おいおい、担当さんがおかしくなったのはおまえのせいかよ!
依り代になるのは嫌だと言ったのに、どうやら蛇神は強引に僕の体内を仮の住まいと決め込んだらしい。押しかけ女房みたいな奴だ。
「出てってくれよ……」
「え!?」
「ん?」
思わず呟けば担当さんが真っ青になってた。
違います!担当さんにじゃなくて、この蛇の奴に言ったんですよ!……と言っても、蛇の声が聞こえない担当さんには通じないので、僕は慌てて取り繕う羽目になった。
お腹の中には蛇神が一匹。
こいつがまたいろんな厄介事を招いてくれるんだけど、それは次の時にでもお話ししようかな。そうそう、どうやら僕には許嫁がいたらしくて、ありがたくないことにそれが分かったのもこの蛇神のせいだ。
今度会うときには、見えない獣の話をするよ。僕が小さい頃から何度も現れた、鋭くて真っ白な牙の話を。
では、またね。
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