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送っていく、と頑なだった百々瀬を置いてさっさと歩きだしたのを早くも後悔した。
あとちょっとで旧講堂の入り口だというのに、目の前には下卑た嗤いを浮かべる生徒が数人。
「――何の用かな?」
聞かなくても分かりきったことだ。夏の暑さ、体育祭の熱気に頭が沸いてしまったのだろう。
旧講堂が人通りの少ない裏手というのもいただけない。気丈にも、まっすぐに発声した眞白に大柄な彼らは笑みを深めるばかり。気持悪い、下心が透けて見える笑みだ。
「オレらとちょっと遊んでくれよ」
「高嶺の花とヤったとなりゃ、オレらも箔がつく」
「イヤだね。なんで僕が貴方たちと遊ばなくてはいけないの」
ツン、とそっぽを向くが逆効果だ。ニヤニヤと気持悪い笑顔に鳥肌が立つ。相手は三人、対する眞白は一人。多勢に無勢。逃げるが勝ちだ。踵を返し、走り出そうとした眞白の手首を掴んだ生徒に二人がはやし立てて口笛を吹く。
背中が地面に着き、石ころが薄い背中を抉った。手首をひとつにまとめられ、どこから取り出したのか紐でくくられてしまう。
「い、った」
「おうおう、お姫様は痛みに歪んだ顔もお綺麗なんだなァ」
「勃起するくらいにな!」
ぎゃははっ、と下品な笑い声に眉根を寄せる。こうも堂々とレイプしようとするなんて、馬鹿なんじゃないかコイツら。
手慣れた様子でジャージをめくり、アンダーシャツの下に手を忍び込ませてくる。ひとりが頭上で肘を抑え、もうひとりが足の間に入って膝を押さえ込んだ。
「いっ、いい加減にしろ! 男なんて犯して何が面白いの!? 猿みたいに盛るなよ!!」
「うっせーな。黙っとけって、気持ちよくしてやるからさァ」
「あー、ガムテ持ってくりゃ良かった」
「さすがに体育祭にガムテ持参ってやべーだろ」
自分よりも大柄な生徒に抵抗したって勝てるわけない。綺麗な顔から口汚い言葉が飛び出そうと、彼らは我関せずといった様子で眞白の服を剥いでいった。
「クスリは?」
「ざぁんねん、持ってねぇんだよ」
「っんだよ、使えねぇな。眞白ちゃんヤれるなんて今後二度とやってこねぇかもしれねんだから、ちゃんと準備しとけよなァ」
「カメラならばっちり」
ようやく、会話が可笑しいことに気づき、口を閉じた。
クスリ、カメラ。脅しの材料か。
「お、一個ならあったぜ。錠剤タイプだけど」
「あー……それでいっか」
「はぁーい、眞白ちゃん、大きく口開けましょうねぇ」
病院の先生が、小さい子供にするような猫撫で声なのに、かさついた大きな手が小さな顎を掴んで無理やり口を開けさせる。
「やっ、やめへっ」
不意に恐ろしくなった。何かも分からない小さな錠剤。クスリと彼らは呼んだ。どんな効果があるかは分からないが、きっとろくでもないものに違いない。首を振って手を振り払い、固く口を閉ざせば、鼻をつままれて息ができなくなる。やっぱり、手慣れている。常習犯だ。
息を止めていられるのにも限界がある。酸欠で顔が赤くなるのを、彼らは面白そうに観察した。
手持ち無沙汰だった一人が、悪戯に胸の頂にある芽を摘んだ。女じゃあるまいし、感じるわけがない。むずがゆさに体をよじり、とうとう息が続かず口を開いてしまった。
「ぽいっ」と放り込まれた錠剤に吐き気が催す。飲み込むものかと、顔を横にするが、すぐに顎をつかまれ、口の中に太い指を突っ込まれた。
「んっ、げ、ぇ」
「ほーら、ちゃんと飲み込めよ。……やっば、眞白ちゃんのお口ったらちょー熱いんだけど!」
太い指が縦横無尽に口の中をこねくりまわす。上顎をなぞられると唾液が溢れて、絡めるように舌をつままれた。
「あり? クスリどっかいっちった」
「溶けたんじゃねぇの」
指を抜かれて、口内を除きこまれる。飲み込んだ感覚はなかったから、溶けてしまったのかもしれない。
「い、やだ」
「イヤだって。かぁわいい」
生理的に滲んだ涙を舐め取られる。気持悪くてどうしようもない。
「さく、たろ」
小さく、無意識に呼んでしまった。眞白にとって、朔太郎はとっても強い存在だ。困っていれば助けてくれて、甘やかしてくれる人。
「俺の眞白が泣いてんじゃねーかよ」
見なくてもわかる、不機嫌な声色にはたと瞬かせた瞳から涙が流れた。
「げっ、風紀委員長……!」
圧倒的だった。
手首を押さえていた生徒が軽々と吹っ飛んで、壁にぶち当たる。足を押さえていた生徒の顔に拳がめり込み、携帯を構えた生徒はみぞおちを蹴られてゴミクズのように転がった。
呆気ない、あっという間だ。呆然と、光を背に立つ彼を見た。ズリ、ズリ、と引き摺りながら体を起こす。うめき声を上げる男に歩み寄り、その手を踏みつける。全体重をかけて踏みつけられた手のひらがゴリゴリと嫌な音を立てた。
「グッ、ァアアッ!」
「――こんなんで済むと思ってんのかァ?」
赤く、ひしゃげた手のひらから足を上げ、痛みに歪められた顔を何度も、何度も、何度も何度も何度も! 踏みつける。ゴッ、ゴッ、ゴッ、と鈍い音と赤色が広がっていく。それは眞白の手首を押さえ、口内を蹂躙していた生徒だ。利き手は使い物にならないだろう。鼻も完全に折れて、血が垂れている。
次はお前たちだ、とばかりに振り返った朔太郎に、果敢にも殴りかかろうとした男子生徒の足に眞白は体当たりをした。考える前に体が動いていた。殴りかかる勢いのまま、顔から転んだ男子生徒は目を血走らせて地面に横たわる眞白を蹴り飛ばした。
「あ”ッ」
強く、背中を蹴られて息が止まる。
「……だぁから、眞白に何するんだっつってんだよ!」
ゴキンッと鈍くひときわ大きな音が響いた。骨が折れる音って、こんな感じなんだ、と痛みに汗をかきながら薄く目を開ける。
ガツッガツッガツッ、と止まることなく蹴り続ける朔太郎の顔はまるで般若みたいだった。
「……さくたろ、も、いいよ」
自分の不注意のせいで、朔太郎にあんなことをさせたくなかった。殴られるのも痛いけど、殴るほうも痛いんだ。
小さすぎる囁きが聞こえただろうか。音が止んで、静かになった。ジクジクと背中が痛い。縛られた手首も痛い。
「さくたろ、う」
「――眞白」
ふわり、と長くたくましい腕に抱きしめられる。
「ごめんなァ、俺がもっと早くに着ていれば」
違う、百々瀬が送ってくれるという言葉を無視した自分が悪いのだ。
まろい頬を撫ぜられ、土に塗れた髪を梳かれる。朔太郎の声は震えていた。
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