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   柔く抱き上げられたまま、保健室に預けられた眞白はぼぅっとベッドに座り込んだ。  膝を抱え、土埃のついたジャージのまま、息を潜めている。 「雪美君、お茶でも飲む?」 「いら、ないです」  横顔は白を通り越して青く、唇も紫。見ていて可哀想なくらい顔色の悪い眞白に、どうすることもできない保健医は溜め息を吐き出した。着替えようね、と声をかけても無言で首を横に振り、黙って膝を抱える花の青年にカウンセリングも諦めた。  説明もせずにいなくなった風紀委員長を恨むが、この様子を見て察せられないはずもない。  教師の間でも、雪美眞白はよく話題に上がる生徒だった。中等部に進学したばかりの頃なんて「とんでもなく綺麗な子が入ってきた!」と教師という立場も忘れて騒がれていた。 「少しだけ席を外すけど、ひとりで大丈夫?」 「……はい」 「一応、鍵を閉めていくから、辛かったら横になってもいいからね」  飼い主を待ち続ける犬のようで、見ていられなかった保健医は風紀委員長を探しに行くことにした。体育祭中は外の仮設テントに保健委員会の生徒が常駐している。万が一の事態に備えて、高等部の保健室を開放していた。  鍵が閉まる音がして、しんと静まり返る。  体を這う手のひらの感触が忘れられない。背筋がぞわぞわと鳥肌が立ち、寒気が止まらない。  長く学園にいれば同性に恋愛対象として見られることにも慣れてくる。眞白自身は書記親衛隊に入隊していたが同性愛者というわけではなく、書記には敬愛の念を向けていた。  美しく、整った容姿ゆえに情欲を向けられても仕方ないとは思いつつも、あんな、強姦まがいの無理やりな欲をぶつけられるのは初めてだった。三人がかりで押さえつけられ、服を向けれ、早まった動悸が一向に治まらない。  恐怖か、それとも強引に飲まされた錠剤のせいか。両方だと、眞白は思った。  手足が痺れる感覚と、腹の奥が渦巻いて、全身の感覚が敏感になっていた。こらえる吐息は熱く、真っ青な表情と相まってとても淫靡であった。  服がこすれるだけで走る快感に嫌気が差す。  朔太郎には絶対にバレたくなくて、死ぬ気でこらえたが、もう限界だった。  自慰行為は月に一度か二度するくらい。健全な男子高校生であれば少ないが、眞白は性に淡白なほうだった。周りで「誰に抱かれたい」「誰が素敵」だのと話している中で、哲学書を読んでいる生徒だ。  クスリで強引に引き出された快楽は、その身に余る快感だった。 「まぁーしーろっ! こんなとこにいたのかよ!」  第三者の声に、血の気が引いた。  ハッと、顔を上げる。その動作でさえ、腰に響く痺れが走る。 「あれ、なんか顔色悪いけど」  存在すら忘れていた。モサモサのカツラを取り払った春川だ。天真爛漫な笑みを浮かべているのに、どこかほの暗い。  先生は確かに鍵を閉めて出て行ったはずなのにどうして。思っていたことが顔に出ていたのか、春川はにっこりと笑みを深めて手に持ったカードキーを見せる。 「オレ、特別生徒枠で編入してきたんだよ。だからカードキーもゴールドなんだ! さすがに寮部屋は開けれないけどさ」  特別生徒枠なんてはじめて聞いた。目を瞬かせる眞白に気分を良くして春川は、にんまりと浮かべた笑顔の裏側に情欲を隠して、一歩一歩ベッドに近づく。 「謹慎期間中、オレ、ずぅっとマシロのこと考えてたんだ」  今までにないくらい、落ち着いた声だ。 「オレ、マシロのこと誤解してた。母さんと父さんに調べてもらったんだ! マシロの父さん、マシロのこと人形としか思ってないんだな。お母さんは死んじゃってるんだろ? ……寂しかったよな。悲しかったよなぁ。オレ、わかるぜ、苦しいよなぁ」  言いようのない、不気味さに喉が引き攣る。 「なぁ、オレとマシロ、運命だとおもうよな! 人形みたいに整った顔。色白で、蒼い目はお揃いだ! オレの金髪と、マシロの黒髪なんて色違いみたいじゃん。オレはホモじゃないけど、マシロのことが好きなんだ。マシロも、オレのこと好きだろ?」 「な、――なに言ってんの」 「オレのこと、好きって言ってくれよ!! マシロにだけなんだ。こんなに、頭の中がいっぱいになって、胸が熱くって、苦しくなる……! これが恋だろ!? 愛なんだよなぁ!? なぁ、好きだよ、マシロっ!」  熱に浮かされた目を爛爛と輝かせ、身動きの取れない眞白に覆いかぶさる。手首をベッドに押し付けて、細い首筋に鼻を埋める。  熱く滑った柔らかな舌が首筋を這った。汗のしょっぱさと、土に苦味が口内に広がる。 「ッひ、ぁ」  ぞわぞわと、背筋を稲妻が走った。嗚呼、クスリの効果は抜群だ。 「ぃ、やだっ、離せッ、うう、」 「なんで嫌がるんだ! オレのことが好きなら嫌がるなよ!」  暴論だ。  好きでもなんでもないのに、体はおかしな錠剤の効果で何をされても快感が走る。  春川は同年代の生徒よりも小柄な体格をしているのに、いとも簡単に眞白を押さえ込める力だ。自身よりも強者であると自覚してしまい、一時間も経っていない強姦未遂を思い出してゾッとする。  彼らは、たまたまそこに眞白がいたから、邪まな感情のままに襲ってきた。けれど春川は違う。まっすぐに純粋で、捻じ曲がった感情を押し付けてくる。幽霊にでも出くわしたかのような寒気が足元から上ってきた。 「んんっ! ぅ、ん」  荒々しい口付けだった。情緒も雰囲気もなんにもない、子供みたいなキス。ガツッと歯が当たって音がする。舌先が閉ざされた唇を割ろうとして、唇を何度も吸われた。  他人の、春川の熱が唇を伝って移る。唾液が混ざって、透明な糸を引いた。 「ハッ、あ、はぁッ」 「マシロ、ましろッ……!」  初めてセックスをする子供のように、相手を思わない荒々しい手つきで上着の裾から手を差し込んでくる。骨の浮いたあばらを撫で、ジャージのウエストに指がかかる。  体重をかけて拘束されているだけで体が熱くなって、息が荒くなる。クスリのせいなのに、「同意してるだろ」と言われているような気持ちに頭が痛くなる。  思考を放棄したい。いっそ感情すら投げ捨てて、気絶してしまいたかった。  白く薄い腹部を押されて、臍を指でなぞられる。びくっと大きく腰が波打った。ひときわ高い、女の子みたいな嬌声が飛び出し、目を白黒させる。 「……ここ、きもちーの?」  素直に反応してしまう体が憎らしい。口の端を噛み締めた眞白に、春川はにんまりと笑って、そろえた指先で臍の少し下あたりをグッグッグッとリズムよく押してくる。 「ひっ、あっ、ぁ、あ、や、ぁ、やだぁ! やめ、ろッ! ねぇ、やめ、あ、ぁ――!」  全身の汗腺が開いて、汗が滲み出す。強すぎる快感に視界が滲んだ。やだ、やめて、何度否定の言葉を紡いでも、無邪気な子供はやめてくれない。  ジャージの中で、緩く立ち上がった竿を、布も巻き込んでぐにぐにと揉まれた。手首を押さえつけていた手はすでに放されているのに、強すぎる快楽に抵抗なんてままならない。 「いいよ、イッても」  強く、血が滲むほど強く噛み締めた。 「ぁ――」と大きく息を吐いて脱力する。 「気持ちよかった?」  悪意なく尋ねてくる春川に殺意が沸く。ああ、イッてしまったとも。下着の中はぐちゃぐちゃだし、汗と土のにおいで気持ちが悪い。  今日は厄日なのだろう。でなければ、一日に二回も強姦被害にあうなんてない。 「気持ちよくなんて、」 「こぉーんな、いっぱい出したのに?」  ぐちゃ、と。  白濁で塗れた部分を手のひらで弄ばれる。情けない。同じ男なのに。 「あ、おいっ、泣くなよ! いや、マシロは泣いてても可愛いし綺麗なんだけど!」 「ッ死ね!!」  イライラが爆発して、そのお綺麗な顔を蹴り上げてやろうと持ち上げた足は容易く捕まってしまう。 「危ないって」と苦笑いする春川は、あの煩くて小汚いキノコと本当に同一人物なのかと思うほどに静かで不気味だった。 「気持ちよかったんだろ? 恥ずかしがんなって! もっち気持ちよくなろう? オレ、マシロのためにいっぱい調べたんだ。謹慎中なんて毎日暇だったし! ネコとタチってあるんだけどさ、マシロは猫みたいだからネコな!」  血の気が、引いていく。まさかこれ以上の屈辱があるのだろうか。 「ぃ、いやだ、やめろ、僕はお前なんか好きじゃないっ」 「照れるなって! 大丈夫、怪我なんてさせねーよ!」  怪我どころか、一生治らない傷ができてしまう。するり、とズボンを足から抜かれてあっという間に下着も取られてしまう。  白濁液にぬれたそこを見て、「お漏らししたみたいでかぁわいいな!」と言ってしまう春川はやっぱり頭がイカレてる。  先生が、保健医が戻ってくれば、朔太郎も連れてきてくれるはず。早く、はやく戻ってきて。  恐怖に体がすくんでる。ぎゅっと握り締めた手のひらを解けない。呼吸が浅くなって、頭がクラクラした。 「男同士でやるのって以外と女の子とかわんねーみたいでさ、ちゃんとバラせば尻でもイケるようになるんだって、ネットで書いてたんだ」 「いや、ねぇ、まって、どうして、」 「イヤイヤばっかりじゃん! 気持ちいいなら黙ってろよ!!」  どこから取り出したのか、はたまた最初からそのつもりだったのか、潤滑剤を手にとって、指先が白い臀部を撫でた。指先が擽るように後孔を弄り、つぷり、と一本入っていく。 「ぁ、あ、」  ゾクゾクと、力が抜ける感覚に声が溢れた。 「一本入った! これ、二本ならけっこう簡単なんじゃね? ね、マシロ、きもちーか?」 「ふっ、ん、ぐ、」  緩く抜き差しをされるとどうにもならない快感がじんわりと脊髄を駆け巡った。  ぽろぽろと涙が落ちる。声なく喘ぐ眞白に、頬を赤くする春川は一生懸命に指先を動かした。バラして、曲げて、掻いて。あんまりに一生懸命になりすぎて、後ろから近づく影に気づくことができなかった。  否、非常事態になったら、ミヤビが教えてくれる手はずになっていたのだ。だから、誰かが施錠した保健室に入ってくると考えていなかった。 「――ッグ、」  ガツン、と。首筋に衝撃が走った。骨が折れなかったのがおかしいくらい、強い衝撃に春川は保健室の床に転がっていく。 「ぁあッ!」ずるり、と指が抜けて行った。腰が上がって、また精子を吐き出してしまう。脱力して、全身をベッドに預けたまま身動きが取れない。 「――眞白、悪い、ごめん、本当にごめん」  憔悴した。弱った低い声。  重たいまぶたを持ち上げて、涙が滲んだ蒼い瞳にその人を映し出した。  助けられたのは、今日で二回目だ。 「さくたろ、」 「眞白、ましろ……ごめん」 「もう、やだ……なんで、僕がこんな目に合わなきゃいけないの」  普段の気丈な態度からは想像つかない弱った眞白に、朔太郎は目を見張って、自分自身の情けなさを実感した。 「もう離さないから、一緒にいよう。俺が守るから」 ◆ ◆ ◆  夜、食事もせずに自室でぼぅっとしていると、携帯に珍しい人物から着信がかかってきた。  眉を顰め、億劫な表情でディスプレイをスライドする。重たい口を持ち上げて「もしもし」と電話を受けた。 「お久しぶりです、お父さん」  固く緊張した声音に自分自身で呆れてしまう。眞白にとって、父は畏怖の対象だ。何を考えているのかまったく分からない未知の存在。どうして母はあんな化け物と結婚したんだろう。墓前に行くたび、答えが返ってこないと分かっていても問いかけてしまう。  ――桜川原のお嬢様がいらっしゃるだろう。お前はその娘に嫁がせる。来週の土曜日、顔あわせだ。金曜の夜にはうちに戻ってきなさい。  相変わらず、断るだなんて思っていない有無を言わせぬ口調だ。 「……はい、わかりました」  暗く重たい声が冷たい床に落ちる。  そういえば、と続いた父の声に眞白は目を見開いた。 「男に襲われたそうじゃないか。久しくお前の顔を見ていないが、きっとアイツによく似ているのだろうな。夜は私の部屋に来なさい。怪我がないか見てあげよう」  怖気が走った。はく、ととっさに言葉を吐き出せず、通話は切れる。  気持悪い。気持悪くて気持悪くて、いっそ死んでしまいたくなった。奥歯を強く噛み締め、手に握った端末を壁に投げつける。いくら防音とは言え、強く投げつけられた衝撃は隣の部屋に伝わっているだろう。  肩で息をして、頭を掻き毟った。  あんなのが父親だなんて、信じられない。信じたくない。体の半分があの男でできていると想像するだけで吐き気がする。  母親似の眞白を、舐めるように見て、女扱いをしてくるあの男が、心底気持悪い。 「ッ……うぅ……クソッ……みんな死んでしまえばいいのにッ」  吐き出された苦しい声。  どうして、こんなにも苦しいんだろう。胸が圧迫されている。噛み締めすぎて唇はブツリと切れて鉄の味が広がった。  どうしようもなく、朔太郎の腕が恋しかった。

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