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039*ゆきみゃんとちとよん*

   端的に言えば、春川姫司は退学になった。  ついでに、会長は海外留学で副会長は転校してしまい、現生徒会のリコールが決定した。  シャーペンの頭をノックしながら、考えるのはクラスメイトと風紀委員長様のこと。  せっかく雰囲気が柔らかくなってきていた高嶺の花は、また刺々しい雰囲気に逆戻りしてしまい、以前よりも人嫌いが酷くなっているのは気のせいじゃない。常に、ナイフのように尖った空気を放ち、教室にいてもニコリともしなければ会話すら放棄している。 「ゆきみゃーん。ゆきみゃんみゃん。こわぁーい顔だよ?」 「なぁに。かまって欲しいなら他所に行って」 「つれないこと言わないでよぉー。可愛い顔が台無しだよ?」 「……いっそ、台無しになったらもっと平和に過ごせるのかな」 「わぁ、物騒な思考回路」  ぼんやりと呟く眞白に顔が引き攣った。ドン引きしちゃう。 「そんなことしたら、うちの弟たちが発狂しちゃうからヤメタゲテ」  うーん、と首を捻らせて、どうにか彼の憂いを払えないだろうかと考える。  無理もないだろう。一日に二度も暴力(レイプ)を振るわれそうになったのだ。女の子じゃなくたって、怖かったに決まってる。男性恐怖症になってもおかしくない。  雰囲気は人を近寄らせないそれだけど、塞ぎこまず不登校にならない眞白を純粋に尊敬する。俺だったら無理だ。寮部屋から出ることすらできない。 「……ゆきみゃんってさぁ、頑張り屋さんだよねぇ」 「はぁ?」とした顔を向けられたが、気にせず言葉を続ける。 「だってさぁ、あんなことあったら僕、絶対部屋から出れないもん。今日だって、休めばいいのに教室来てるし」 「別に、僕に害を成した奴らは可哀想になるくらい朔太郎にぼこぼこにされたし、退学になったもの」 「それだよ! 相手に対して”可哀想”って思えるのが信じらんない。自分のことなのに、他人事だよね、ゆきみゃんって」  教室には眞白と夕のふたりきりだ。窓の外は雨降りで、まるで眞白の心を映しているかのように暗く重たい雲が空を覆っている。  講堂では全校集会が行われているだろう。新しい生徒会役員の発表と、風紀委員会による夏休みの過ごし方や帰省等の注意事項が主だ。  明日から学園は夏休みになる。夕は実家には帰らず、学園に残り、新生徒会役員との業務の引継ぎをしなければならない。暗く冷たい雰囲気の眞白は「帰って来い」と実家から電話があったらしい。わざわざ、学園まで向かえを寄越すとも言われた。  夏休みも冬休みも、眞白は帰省をしない。する必要がないからだ。中等部の初めまでは実家に帰っていたが、いつの間にか帰省をしなくなっていた。母のいない家に帰っても、ただ虚しくなるだけだった。静かで寒い家の中で、眞白が本当の意味で安らげる場所はなかった。  それを知っている夕は、あえて明るい声を出す。 「おっきいパーティーかなんかでもあるの?」 「顔も知らない婚約者との顔合わせがある」 「婚約者? え、ガチ?」  諦念を浮かべた眼差しで頷く。 「ま、待って、ちょっと、え? 風紀委員長はどうするのさ」 「どうするって?」 「付き合ってんでしょ?」  言葉に詰まった。  以前よりも距離感が近く、眞白に対して過保護になった朔太郎。あんな事件があれば、過保護にならざるを得ないと、知っている夕でさえも、とっくに二人は付き合っているのだと思っていた。  実際は、かけ離れている。  苦虫を噛み潰した眞白に、目を瞬かせる。 「……ゆきみゃんは、風紀委員長のことをどう思っているの?」  眞白は、感情が育ちきっていない子供だ。トラウマに感情を押しつぶされてしまって、恋愛や愛情を怖がっている。 「それ、今の話に関係ある?」 「あるから聞いてるんでしょーが。ほら、さっさとゲロっちゃいなよ」 「ゲロって……はぁ、」  眞白にとって、朔太郎は正義のヒーローだ。  第一印象は、突然キスをしてくる変態野郎だった。今は、違う。自分とは正反対の鍛え上げられた身体。たくましい胸板。簡単に眞白を抱き上げる腕。「眞白」と囁く低い声。  朔太郎がそばにいると、余計なハエが近寄ってこないから、体のいい虫除けくらいに思っていた。  それがいつからか、側に、隣にいるのが当たり前になって、無意識に姿を探してしまう。  テレパシーなのか、後姿を見つめているといつも振り返って鋭い表情を笑みで緩めるのだ。ふわりと、花が咲くように、笑みで冷たい表情が解ける瞬間が好きだった。  大きな手のひらが、華奢な指に絡まるのが好き。意外と体温の高い手のひら。僕にだけ優しいのも好き。甘いのが好きなのは可愛い。 「それを恋と呼ぶんじゃないの?」  ギクリ、と身体が固まった。考えないようにしていたのに。夕はそうさせてくれない。考えろと、思考しろと言う。まったく、酷い友人だ。  恋なんて醜い。愛なんて汚い。  母は、あんなクズ男でも好きになっちゃったんだから仕方ないわ、と言っていた。好きになったほうが負け、ともうわ言に呟いていた。  好きになったら、負けなんだ。  卒業まであと一年ある。自由時間のタイムリミットはそれほど長くない。卒業したら、婚約者の家に婿入りしなければいけない。  三学年の朔太郎は今年で卒業してしまう。卒業したら、連絡を取らない限り、会うこともなくなるだろう。 「……わからないよ。恋は、こんなにも苦しくて、悲しいものなの?」 「さぁ、恋模様なんて人それぞれだよ」 「夕も、恋をしている?」 「――俺は、叶わない恋をしているよ」  沈黙が流れた。 「叶わないと分かっていても、夕は恋をするの? それはとても辛いことでしょ。僕は、自分の気持ちを恋とは認めない。認めたくない。捨てなければいけないとわかっている恋を、認められない」 「悲しいね」 「いっそ、感情すべて失くしてしまいたいよ」  とても、とても悲しい笑みだった。艶めいた、雨の降る感情に、夕も眉を下げる。お互いに辛く悲しい、叶わない恋をしている。  恋が叶ったとしても、それは幸せなのだろうか。 「幸せって、なんだろうね」  幸せになりたいと思っても、簡単に幸せになれるものじゃない。

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