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42*新入生と雪美センパイ*

   高等部の三年生に、とっても綺麗な先輩がいる。  透ける白い肌。ぽってりと赤い唇。塗れた蒼い瞳。細い肩口で揺れるぬばたまの髪。  初めて見たとき、女の人がいる、と思ってしまうほど中性的で綺麗な人だった。 「雪美センパイ」という、美しい人は、張り詰めた冬の寒さを体言したような人だ。 「サク、おいで。お茶をしよう」  その美しい人に、俺は気に入られている。  ◆ ◆ ◆  高等部のバケノ兄弟。化野と馬ケ野。漢字は違うが読みは同じで、腹違いの兄弟だとか従兄弟だとか。  テーブルを囲むのは大体そのメンバーだ。たまに、風紀委員長もいる。見目麗しい方々に囲まれて、いつ刺されるだろうかと夜しか眠れない日々を過ごしている。 「サク、今日は文明屋のカステラだって。きっと美味しいよ」  ニコニコと、嬉しそうに楽しそうに笑う花の人は、見ているだけで幸せになれる。双子の片割れがカステラを取り分けている。  金粉がのり、ざくざくの砂糖が混ざっている。 「ゆきみゃん、文明屋好きだよねぇ。美味しいのは確かに認めるけどさ。俺はクッキーのが好きだなぁ」 「うるさいぞ愚兄。雪美先輩がカステラが食べたいと言っているのだからカステラに決まってる」 「クッキーも好きだよ」 「ですよね、雪美先輩!」  手のひらころころだ。  取り分けられたカステラは美味しそうだ。甘いのはあまり好きじゃないと思いつつも、「お食べ」と微笑んで促されては断れない。  小さく一切れ、ぱくりと食べた。 「……!」  ふんわりとした生地は舌触りが良く、ざくざくと食感のよい砂糖は思ったよりも甘くなく食べやすい。  食べたのを見て、笑みを深める雪美にバケノ兄弟も頬を緩めた。  ◆ ◆ ◆ 「ねぇ、外部生君さぁ、雪美さんに気に入られてるからって調子乗ってるんじゃない?」 「雪美さんだけじゃなく、化野君にまで色目使ってさぁ!!」  入学して幾度となく訪れた制裁の時間だ。  背だけは高い八十葉 朔兎(やそばさくと)は、自分よりも小柄な生徒に迫られて困っていた。可愛らしい顔をした先輩がひとり、ふたり……五人も集まっている。  先輩に気に入られているのは自覚しているが、だからといって調子に乗ってはいない。 「ちょっと頭がいいからって……!」  ぼぅっと、早くいなくなってくれないかと佇んでいた朔兎の頬を、ぱしん、と振り上げられた手のひらが打った。  ぱち、と。目を瞬かせて正面のチワワ先輩を見る。顔を赤くして、強く唇を噛み締めていた。ほわほわした笑顔が似合いそうなチワワ先輩に、そんな表情は似合わない。 「――可愛くないっすよ」 「ッはぁ!? 喧嘩売ってる!?」 「センパイ、せっかく可愛いのにぷりぷりしててもったいないなって思っただけですけど」 「……ばっかじゃないの!?」  一瞬、ぽかんと口を開けたチワワ先輩そのイチはボンッと真っ赤に顔を染めて口を開く。 「ちょっと顔がいいからって調子乗んないでよ!!」  感情のままに、振り翳された手首に細い指が絡む。 「――サクに、なにしてるの?」  這い寄る冷たい声だ。まるで冬の女王のような冷気が漂う声音に、静まり返る。  冷たく、滑らかな手のひらが手首からするりと、細い首筋に向かって動いた。 「……まるでヒーローみたいっすね、雪美先輩」  ぴたり、と。首に伸びた手が止まる。  美しく綺麗な顔に表情はない。感情を出さないと、本当に観賞人形のようだ。  冬の冷たさを閉じ込めたガラスみたいに美しい先輩。 「ゆき、み、さん」  冷たい指先から伝わる恐怖に、朔兎を囲んでいた生徒たちは顔を青褪める。 「貴方たちは、どこの親衛隊?」 「え、あ、その、」 「トモナリと、ヨルフミは知っているのかな?」 「いえ、ぼくたちは、」 「夕は、知っているのかな?」  無表情だと、整った美貌がことさらに強調された。美しさの暴力だ。  ゆっくりと、白魚の手が伸ばされる。 「僕は質問してるんだけど、答えてよ」  相対する生徒の頬を撫で、目の下を指先がぐっと圧した。顔を赤くしたり青くしたり、目を抉られるのではないかと恐怖に涙を滲ませる生徒が可哀想で、つい、間に入ってしまう。 「雪美先輩。やりすぎっすよ」 「……サクは優しいね。アレとは大違いだ」  息を吐いて、雪美先輩はパッと離した手を「行こう」と朔兎に差し出す。  恐怖から解放された生徒はその場に蹲り肩で呼吸をした。すでに雪美は興味を失っている。相変わらず人間味のない、浮き世離れした先輩だ。どうして俺みたいなのを気に入っているんだろう。首を傾げるが、現状が一番心地よい朔兎は疑問を口には出さなかった。出したら、この平穏が終わってしまう気がした。  手を引かれながら歩く先輩の背中を見つめる。自分よりも目線の低い先輩。細い肩。華奢な首筋。簡単に掴めてしまう手首。  完成された人形に、人の魂が吹き込まれた美しい人。  高等部からの外部生である朔兎は、学園の暗黙のルールなんて知らないし、教えられなければ分かるはずもない。  雪美眞白に気に入られてしまった朔兎を可哀想だと同情する生徒もいれば、羨ましいと言う生徒もいる。  たまに、視線が合っているのに目が合っていないときがある。俺を通して、俺じゃない誰かを見ているのだ。 「ダメだよ、サク。呼び出しに簡単に応じたら」 「いや、だって、俺が行かなかったらずっと待ってることになるじゃん」 「……優しいね、サク」  ほら、今だって。目を細めて、違う誰かを見ている。 「僕は呼び出すほうだったよ」 「え?」 「元は親衛隊の副隊長をやってたんだ。ふふ、懐かしいなぁ。もう一年以上前のことだけど。キノコ星人が現れてね、それのせいで強制解散させられた。久栗坂匡孝ってわかる? 高等部三年の」  首を捻った。交友関係はあまり広くない。ゆえに、学園の情報もあまり入ってこなかった。 「あ、生徒会?」  正解、と笑みを浮かべて頭を撫でられる。子供扱いされて、苦い表情になる。先輩というより、近所のお姉さんのような感覚だ。  そういえば、副会長がそんな名前だった。キラキラしている会長と、寡黙で静かな副会長。入学式のときに見て、対照的な二人だなぁと思った記憶がある。  え、あの副会長の親衛隊の副会長? と思わず先輩を二度見した。  朔兎の中での親衛隊の印象はあまりよろしくない。好きな生徒と仲良くするのを許さない、なんだかこじれたクラブ活動、というのが正直な感想だ。  雪美さんに気に入られてるからって! 化野君と仲良くしやがって! とよくわからない言いがかりをつけられるのが日常茶飯事だ。  だからなおさら、ふんわりほわほわしている先輩が、親衛隊に所属していたというのを信じられなかった。  キノコ星人ってなんだろうと気になるし、情報量が多すぎて何から聞けばよいのか口が戸惑ってしまう。 「だから、まぁ、彼らの気持ちが分からないわけではないけれど、一対多数っていうのは格好良くないよね。やるならタイマンで正々堂々正面からやらないと」 「……意外と脳筋っすね」  顔が引き攣った。  ますます想像がつかない。  雪美先輩は親衛隊に至れり尽くせりお世話をされる側だ。双子にせっせとお世話されているのを見ているからかもしれないが、とても親衛隊に所属していたとは思えない。 「……親衛隊を解散? させられてどうしたんですか?」 「――宙ぶらりんだった僕を救ってくれたのが、当時の風紀委員長様。俺様で、我が儘なのに僕にだけちょー甘くって、優しくって、格好付けだったの」  嗚呼、質問を間違えたと悟った。  今まで見てきた中で一番優しくて、穏やかで、甘い微笑に心臓がドキリと音を立てる。  自分に向けられたわけじゃないのに、顔が赤くなって耳のすぐ横でドクドクと音が鳴る。 「千十代朔太郎」 「は、なんで、兄貴が、」 「君のお兄さんが、僕の正義のヒーローなんだ」  あぁ、この美しい人は兄に恋をしているのか。  胸からひとつぽろりと雫が落ちた。  恋を自覚する前に、朔兎の初恋は終わってしまった。

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