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「雨、降んなかったなぁ」  暗い室内で、ぼんやりする頭をかいた。  体育祭当日。自然と目が覚めた紅葉は窓にぶら下がっている逆さまのテルテル坊主を睨みつけた。  雲一つない青空。まさに運動会日和。憎々しいまでに晴れ晴れしている。  時計を見ればまだ七時前。  ちょうどいい時間に起きたな、と体を起こした。  寝汗でベトベトする体をシャワーで流し、作り置きの冷えた麦茶を飲めば喉も潤った。  ジャージ登校なのは楽だ。長ズボンと半袖ジャージ、その上に長袖を羽織って一番上までチャックを閉める。  対して物が置かれていないリビングで一日のスケジュール表を見ながら今日の動きを確認する。 「ピンポーン」とインターホンが鳴った。  こんなに早くから来客の予定はなかったはずだ。首を傾げながら扉を開ければ、満面の笑みを浮かべた親衛隊隊長が立っていた。 「おはよう白乃瀬君! お天道様もすっかり上って、絶好の体育祭日和だね!」 「……何してんですか、水嶋先輩」  嫌味なくらい満面の笑顔にこめかみが引き攣る。 「朝ご飯を作ろうと思って! この時間に食堂に行ってないってことは、どうせ面倒だから朝ご飯食べないつもりだったんでしょう?」  片手に買い物袋を持った水嶋は勝手知ったる様子で部屋へと上がりキッチンへ向かった。 「今日は一日外にいるだから、しっかり食べなきゃダメだよ」と言いくるめられてしまう。 「何作るんですかぁー?」 「軽くフレンチトーストでもと思って」 「わぁ、おいしそう」  ガチャガチャと音のするキッチンを気にしながら、自分以外がプライベートルームにいるということにどことなく安心感を覚える。  友人なんて、大切な人なんて必要ない、と頭の隅に刻み込みながらも他人のぬくもりを求めてしまう浅ましい自分に自嘲がこみ上げてくる。 「白乃瀬君、シナモンって大丈夫だった?」 「はぁい、平気ですよ」  粉末状のシナモンが入った小瓶を揺らす。シナモン独特の香りが漂ってきた。  テーブルに作りたての朝食が並ぶのを見る紅葉にとって、料理は魔法みたいなとても不思議なものだった。  材料からぱっと出来立ての料理ができていく様子を見ているのは凄く楽しいものだ。  いただきます、と手を揃えた紅葉を水嶋はニコニコと笑顔で見守っている。 「……美味しい、です」 「ふふっ、なら良かった」 「先輩は食べないんですか?」 「僕は部屋で食べてきたから心配しないで」  程よい甘さのフレンチトーストは意外とお腹に入っていくもので、食パン二枚分は男子高校生にしては少ないが紅葉にしては多い方だ。  フォークを置けば淹れたての紅茶が置かれる。爽やかな香りのフルーツティーだ。 「飲み終わる頃にはちょうどいい時間になるんじゃないかな」 「そーですねぇ……僕としてはここでずーっとのんびりお茶会してたいんですけどぉ」 「あはは、そんなことになったら僕が他の親衛隊員に刺されちゃうよ。白乃瀬君のジャージ姿、楽しみにしてる子多いみたいだしね」 「僕のジャージ姿なんか楽しみにしてどおすんですかねぇ」  紅茶を飲みながら、きゃーきゃー黄色い歓声を上げる親衛隊たちを思い出して、溜め息を吐く。  たまに、あのテンションについていけなくなる。 「さて、飲んじゃったならそろそろ行こうか」 「今日の護衛は先輩なんですね」 「外に出たら桜宮君も合流するよ。……基本二人以上が白乃瀬君の護衛につくことになるから。あ、お仕事の邪魔はしないから安心してね」 「それは、心配してないですけど」  日之との接触事件から、元々厳しかった親衛隊の護衛がさらに厳重になったのは少しだけ息がしづらかった。  曖昧に笑い返して、空になったティーカップをシンクに下げる。 「さて、行きましょーか」  食器くらい洗えるようになりたいけれど、本家的には何もできない方が嬉しいようだ。  独り立ちしてしまえば困るから、紅葉は意図的に、不器用でひとりじゃなにもできない。  左腕に抱きつく水嶋を連れて部屋を出る。しっかり鍵がかかったのを確認して、エレベーターに乗った。  時間は集合の十分前。これなら歩いても間に合う。 「頑張ろうね! 白乃瀬君」  今日一日、何事もなく過ごせるように。  杞憂でなければいいのだが、晴天の青空だというのに紅葉の心は曇りに曇っていくばかりだった。

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