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 頬杖をついて、溜め息を吐き出した。 「最近紅葉君かまってくれないんだもーん。俺ちょー寂しかったんだよ?」  憂いの表情で眉根を下げる神原に息が詰まる。 「しかたないじゃん、忙しかったんだから」 「忙しかいっても限度があるでしょ。紅葉君、明らかに俺のこと避けてたよね」  避けようにも、どうしてか行く先々に神原がいるし、生徒会業務が忙しかったのも本当だ。 「俺がいるのに考え事?」  ずい、と。目の前に寄せられた顔に目を瞬かせる。  照りつく太陽の下で厚くて重たい衣装を着た全身は汗でべとべとだ。  今すぐにでもシャワーを浴びたい。  涼しい場所に避難しようとしたのを神原に捕まって、半ば引き摺られて食堂の二階席に連れてこられたのだった。 「考え事するのに、委員長が関係あるんですかぁ」  ――煽っている自覚はある。  好きな人が、一緒にいるのに上の空なんてイヤに決まっているだろうに。  神原は面と向かって紅葉に告白をしている。それなのに紅葉と来たら上の空で、神原のプライドを刺激した。 「紅葉君の癖に生意気。――油断してると食べちゃうよ、って言ってるのに」  どこか、嗤いを含んだ声だ。  ぼんやりと、忙しなくフロアを移動するウェイターを眺めていた視界を大きな手のひらに遮られる。  ちゅっ、と軽いリップ音を立てて、視界が明るくなる。  琥珀色に光が反射してキラキラと煌く。  ふたりを中心にざわめきが広がった。  柔らかくて、ちょっとだけしょっぱい。ほのかに苦い味だった。  金魚みたいに口をぱくぱくさせて言葉を紡げずにいると細長い指先に赤い唇をつままれた。柔らかい感触が気持ちよくて、何度もふにふにと指を動かす。 「紅葉君が好きだよ」 「ッ!」  頬から、全身に赤が広がる。  逆上せたとか、暑いからとか言い訳できないくらい顔が真っ赤だった。  誰がどう見ても、紅葉の気持ちは明白だ。  幸せに溢れた顔で微笑う神原と、赤面して俯いてしまう紅葉。  想い合っているのだと、第三者が見てもわかるのに紅葉は違うと首を横に振る。  宮代は最近口癖のように言う。「好きなら付き合えばいいのに」と至極真面目に、純粋な子どもみたいな顔をして言う。  好きなら、付き合う。  できたらどんなに楽だろう。どれだけ生きやすいだろう。 「紅葉君は?」 「ぼくは」 「俺のこと好き?」 「す、」  言ってしまってもいいかな。  揺らいだ心は、騒がしい声に掻き消された。 「紅葉! ここにいたんだな!」  声に振り向き眉根を寄せた。  満面の笑みで、駆け寄ってくるのは日之。珍しく取り巻きは居らず、ひとりだった。  ここ数週間はすっかり大人しかったが、無邪気な様子は健在だ。  食堂の二階が役員専用席だというのは以前教えたはずだが、そのすっからかんな頭で覚えることは不可能だったらしい。 「紅葉!! 軍服すごいカッコよかった! まるで王子様みたいだ!!」 「……そ、う。ありがとお」 「オレはリレーに出るんだ! 一位取るから見ててくれよ!」  大声がうるさいし、距離が近い。大口を開けて喋るから、唾が飛んできそうだ。  表情に嫌悪感が滲んだのを見てか、それとも単に嫉妬心からか、近い距離をさらに詰めようとする日之の前に長い腕が飛び出した。 「キミさぁ、紅葉君が迷惑がってるのが分からない? つーか、何回も注意したはずなんだけど」 「ッあ、かざ、あ、え……神原せんぱい」  どうしたわけか、喜色満面だった顔色を青ざめさせると挙動不審に視線をさまよわせる。  神原を見た。  いつも飄々とした笑みは顰められ、瞳に冷たい色を浮かべている。  日之は神原に恐怖心を抱いている。  怖いもの無しの日之が恐怖を抱くなんて一体何があったのか。  気になるが、触らぬ神に祟り無し。神に仕える身としては、これほど真に近いことわざはないと思っている。 「なんで、なんで紅葉に近づいたらダメなんだよ!! いいじゃんか! オレは紅葉が好きだ!! なんでそれを神原センパイにダメって言われなきゃいけないんだよ!!」 「高校生にもなって子どもみたいな癇癪やめたら? みっともねぇっつの。紅葉君が嫌がってるから近寄るのをやめろって言ってんだよ。その大口で喋るのもみっとも無い。ルールを守れない癖して自分の意見を押し通すなんて社会人として言語道断。まずさァ、好かれたいなら好かれる身形をしたらどーなわけ。そのもっさい髪なんてフケだらけで油っぽそーだし、紅葉君の衛生面が心配になる。精子から産まれなおして来いよ」 「……ッ!! なん、でっ!」  今までにない口撃に自分が言われたわけじゃないが頬が引き攣った。  鬼と恐れられる神原だが紅葉に対してその面を見せたことはない。初めから今の今まで『優しい神原風璃』でしかない。 「――なんでだよ。紅葉は、オレと一緒なのに!!」  どこか、虚ろだった。  髪で見えないはずなのに、まっすぐに紅葉を見つめてくる。強すぎる視線は紅葉に釘付けで、そのほかのものなんて眼中にない。  背筋が粟立つ。寒気がして、鳥肌が立った。 「紅葉君をキミなんかと一緒にするんじゃねえよ」  パン、と手を打ち鳴らした神原に、どこからともなく「風紀」の腕章をつけた生徒が現れる。総じて顔色は青い。 「そいつ見張っとけって言ったよな」 「す、すみません!」  犬でも追い払うかのように手を払い、風紀委員に指示を下す。生徒会長とは違う、上に立つ者としての風格があった。  過ごしやすい学園生活、自主自立した生徒の輪を乱す異分子は排除しなければいけない。

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