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第34話

 翌日の学校帰りに立ち寄った病室では、刹那がベットに横になって昼寝をしていた。 「起きて」  鞄をサイドテーブルに置きながらベットの上の刹那に声をかけると、んー……と寝ぼけ眼で起きて来る。  リハビリ病院では日中ほとんど車椅子に座らされているかリハビリを受けていたから、こっちの病院の寝てればいい入院生活は楽らしい。 「刹那は病気の人と違うんだから、寝てると体力落ちるだろーが」  怒った俺の声に、その通りと同意の返事があって、開いたドアから白衣の卯月さんがやって来た。 「こんにちは、刹那さん。リハビリの時間ですよー」  リハビリと聞いた刹那は嫌そうに顔をしかめて、困ったねぇと卯月さんが苦笑いを浮かべた。 「まぁそういう反応だよね、大概はね。寝起きっぽいからゆっくり始めようか。朔実、刹那さんは起きて来るのに時間がかかるから、今度から寝させないで」 「俺も今来た所だし」 「そう、お帰り。明日から病院まで走って来い」 「ええっ」  刹那のせいで怒られたじゃないかと睨むと、寝起きの刹那はぼーっとしていて聞いちゃあいない。  仕方ないので今日のリハビリはベットの上でのマッサージになった。 「朔実は勉強の方はどうなの?」  サイドテーブルに参考書を広げた俺の手元を卯月さんが覗き込んで来る。 「必死」 「どこの学校行くか決めた?言語聴覚士の専門は県内には無いだろ」  それがまた問題だ。  どこの学校もカリキュラムに大差は無いから、なるべく近くの県で休みの日には帰って来られる所がいい。だけどバイトをする事を考えると、学校の近くに働ける場所か有る方がいいし。 「なるほどね。今晩時間が有るなら寮に来な、学校のパンフ持って」 「や、そんな。悪いです」 「遠慮と礼は後払いでいいから、コケたら笑えないの分かるだろ?」  それに……と、卯月さんが声を潜めて俺の耳元に唇を寄せる。 「刹那さんの事で少し気になる事が有る」 「気になること?」  今の所順調に回復してるって、リハビリ病院の先生もこっちの先生も言っていたけど。  視線で伺う俺に、本人の前じゃ言えないと卯月さんは首を振った。  その日の夕方、卯月さんの帰宅時間に合わせて車で寮に連れて来て貰った。  三か月ぶりの部屋は相変わらずの素っ気ない部屋で、誰かが出入りしている気配は伺えない。卯月さんは見た目もいいし優しそうだし仕事もしっかりしてるしでモテそうなのに、相手が同性になると簡単じゃないのかなとか、余計な事を考えてしまう。 「バイト先ならどこ行っても何とかなるよ」  暖房のスイッチを入れてから、部屋着に着替えた卯月さんがパラパラとパンフレットをめくる。寒いなぁと呟やきながら俺にも一枚フリースの上着を出してくれて、ジャンパーと制服の上着を脱いだ。 「朔実、少し太った?」 プニッと頬を摘まれて、酷い。 「いらひ」 太ったんじゃ無くて戻ったんだよと言いたいのに言えない。一夏で体重が激落ちしていたのに、自分の事は二の次になっていたので気付かなかった。 「落ち着いたんだな」 とても優しい瞳で卯月さんが微笑んだ。  こうやってると卯月さんは普通で、色々有る前の関係に戻ったみたいだ。 「で、朔実の場合はバイトより頻繁に帰って来る方を優先した方がいいと思うんだよなぁ」  パンフ片手にスマホで電車案内を見ながら、こっちの学校は隣の県だけど、電車の接続が悪いからダメと弾いてる。 「ここいいな、新幹線一本だ。何気に山奥で遊びに行けないし、寮も有る」  ここを候補にしてと、優先順位を考えて絞ってくれるので選びやすい。相変わらずな面倒見の良さに甘えそうになる。 「後は勉強かぁ」  パンフレットを放り出して後ろにひっくり返ったら、床に頭がゴチンとぶつかって痛い。受からなきゃ困るだろと、大きく伸びをした卯月さんが同じように床に寝そべる。  ここに来たのはもう一つ理由が有る。 「もしかして、刹那どっか変?」  床の上で身体ごと横を向くと、床に髪が擦れてちょっと痛い。卯月さんはクッションを渡してくれながら難しい顔をした。 「刹那さんの記憶、どうやって思い出させた?」 「本人が覚えてた事の続きを話したり、写真見せたり。だけどうち崩壊家庭だったから学校で撮った写真しかなくて、兄貴が家中探して集めて来た感じ」  学校行事の物しか無かった写真は兄弟三人分合わせても少なくて、家族写真なんか一枚も無かった。その上見舞いに来るのは兄貴と母親に限られていて、一緒に暮らしていた俺が刹那の交友関係を知らないのだから、誰かに連絡して来てもらう事も出来ない。  その結果刹那の記憶は抜けが多い。 「ダメかな?」 「いや、いいよ。刹那さんには逆にその方がいい」 「うん」  どうしても思い出させてはいけない事が有る。刹那がこうなった理由と、爺さんの事だ。  自分で自分を殺そうとした事を思い出したらどうなるのか、そして爺さんを殺した事を思い出したら、刹那はまた死んでしまうかも知れない。  それだけはダメだ。絶対に。  過去を消す事なんか出来ないけれど、今の刹那には出来る。それは大きな代償を払った刹那が得た、生まれ変わるチャンスのように思えた。 「お祖父さんとお祖母さんの事はどう伝えてる?」  やっぱり……卯月さんもそれを考えていたのかと、俺はどうしたらいいのかその瞳に答えを探る。 「まだ何も。写真が無いからそんな人達が居た事も教えて無い」  だけどいつか必ず矛盾が出る。家族の中から二人もの存在を無かった事にするのは大変で、いずれ刹那が辻褄の合わない事に気付くほど回復したら。 「お兄さんは虐待を知ってだんだろ、思い出させたく無いと言って祖父母の事を話さないように頼め」 「うん……」  けれどそれだけでは追いつかない。例えば母さんが仕事でいない間、深夜まで子供三人だけの家庭は変だ。そうやって些細な事が矛盾を生む。 「朔実、刹那さんの記憶から都合の悪い事を上手く消して、思い出させない方法がある」 「え?」  ドキッとした。  何を覚えていて、何を忘れているか。刹那本人は元より、ずっとそばに居た俺でさえあやふやな事から、都合の悪い事だけを消して思い出さない。それが出来たらどんなにいいか……。 「無理だよ、だって刹那はどんどん回復してる。いつか辻褄が合わなくなって、じいちゃんを思い出しちゃう」 「いや、出来るよ。倫理はともかく、喪失した刹那さんの記憶を取り戻す導き手は朔実しかいない、この特殊な環境が……いや、ごめん。やっぱり良くないな」  ふうっと卯月さんがため息を吐く。冷静さを取り戻すその仕草に、逆に俺はドキドキして来た。  爺さんを殺した事を永遠に忘れたままにさせること。それが出来たら刹那はもう死なずに済む。ずっとずっと一緒に居られる。  記憶はその人個人の物であり、他人が勝手に操ることなど出来ない。出来たとしても人としてどうなんだろう。操られた刹那は……。  いや、死ぬか生きるかの話になれば、俺は刹那に生きて欲しい。ドキドキして来た。ドクンドクンと心臓が打ち付けて、出来るならと願ってしまう。その方法を教えて欲しい。 「卯月さん、教えて」  食い付く勢いの俺に、そうだなぁ……と卯月さんはのんびり天井を仰ぐ。 「育った家その物を母方の実家に差し替えるのはどう?お母さんは帰って来ないお父さんと早々に離婚して、子供三人を連れて実家に戻った。そうすれば父方の祖父母をそっくり母方の祖父母と入れ替えられるだろ。嫌だった思い出は無かった事にして、刹那さんが思い出しても虐待では無くて、いたずらをして叱られた躾に置き換える。楽しかった事はそのまま話せ。ただし祖父母が別人だ」 「あっ……」  その発想は無かった。  俺は母方の祖父母とはあまり会わなかったけれど、優しい人達だった。それなら誰も殺して無いし殺されていない。  だけどそうするとと、卯月さんは難しい顔をする。 「刹那さんの中からお前の存在感が薄れて、ただの弟になる」 「え?」  言われた意味が分からなかった。

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