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第12話
はっと目が覚めると、嫌な夢に心臓がドキドキして、怖い。
夢の時と同じようにとても怖い。怖い。怖い。
ドキドキドキドキ、吐きそうだ。
はぁはぁ浅い呼吸を繰り返しながら胸を押さえていると、どうしたのと柔らかな声がかかって、ここがどこなのか思い出した。
刹那のリハビリ中だった。
卯月さんが簡易ベッドの横にやって来て、動揺を押し殺す俺の肩に、そのままでいいよと手を添えてくれた。そうされると心地よくて、やっぱり卯月さんの手は魔法の手みたいだ。
「また嫌な夢でも見た?」
最近は嫌な夢ばかり。
夢の中に俺は答えを探してる。刹那が飛んだ理由を。
何が悪かったのか、俺のせいなのか、探しても探しても全てが悪かったように思えて。
深いため息を吐き出した時、卯月さんが俺の額に手を当てた。
「寝汗かいてる。少し熱が有るね」
「大丈夫です」
それは困る。刹那のそばにいられなくなってしまう。
必死で見上げる俺に、卯月さんは困った微笑みを向けて来る。
「朔実くんは大丈夫でも、刹那さんが大丈夫じゃない。もう仕事終わるから、送ってくよ」
あぁ……ダメな物はダメ。大事なのは俺の体調では無くて、刹那の体調。
仕事を終えてから病室に迎えに来てくれた卯月さんが、どこに送って行けばいいのと駐車場で車のドアを開けた。
「アパートにお願いします。隣町です」
「その前にごめん、君の所ご両親どうなってるか全然見えないんだけど、居るよね?」
入院患者の家族背景はだんだん見えて来るらしい。息子が命の瀬戸際に居る時でさえ一度も現れず、病院とのやり取りは全て兄がやって、付き添いは弟というのは、おかしいと思われて当然か。
「親は居るけど、俺は刹那と暮らしてるから」
「上のお兄さんは?」
「仕事の都合で住んでる所が離れてて」
「そうか、じゃあアパート帰っても一人か」
乗ってと促されて俺が助手席に乗ると、エンジンがかかる。
連れて来られたのは病院から少し離れた場所に建つ何の飾り気も無い白いアパートで、職員の寮だった。
「ここ住んでると結婚出来ないってジンクスがあるんだ」
妙なジンクスの有る寮の階段を卯月さんが登って行く。その後を追いながら、じゃあ彼女居ないんですかと聞いたら、そこは聞き流せと怒られた。
なんで。
部屋はフローリングのワンルームで、ホームセンターでよく見る組み立て式のスチール棚と木のテーブルが置いてある。飾り気なんかまるで無い部屋に、彼女いないんだなぁと思わず納得。
風呂入って来いよと俺に向かって言う卯月さんを、かっこいいのにもったい無いと思う。加えて物腰が柔らかくて穏やかとか、モテそうなのに。
言われた通り風呂を借りて上がると、小さな木製のローテブルに夕食が出来ていた。
「何これ、凄い」
梅干しに白飯、味噌汁。冷凍食品と漬物。マジで男の料理だ。チンの賜物。
「文句ある?」
「俺の方が上手いと思う」
「料理出来るの?」
「調理師になろうかなと思うくらいには」
「天才じゃないか」
冷蔵庫には豆腐とか辛子明太子とか、酒のつまみになりそうな物しか無い。冷凍庫には買ってそのまま突っ込んだだろう食品が多数。
「うわー、本当に男前。惚れるわ。なんか考えるから向こう行ってて下さい」
そう言ったら、卯月さんは任せたと、ふんふん鼻歌をうたいながら焼酎とグラスを出している。
なんか普段の生活が見えるよ、気を使ってばかりの病院に居る時とまるで違って、楽しそうだ。
「今夜はいい物連れて帰れたなぁ」
「ご飯作ったらアパートに帰りたいんですけど」
「何言ってんの、酒のつまみ作っといて。車出せるわけ無いでしょう」
そうだった。
やられた。自炊をしない酒飲みの冷蔵庫にはつまみになる物しかないのが悪い。テーブルの上の梅干し入りのグラスは既に半分程減っていて、早い。
出来上がった料理を前に、向かい合ったテーブルの向こうから伸びて来た手が俺の額に触れて、それから首筋に移動して体温を計ってる。
「まぁこんなもんか。飯食ったら薬出してやるよ。てかこれうめぇな、調理師になるの?将来どっかの店勤めたら俺通うわ」
「やった。常連客確保」
褒められたのが嬉しくて照れ隠しに笑うと、ふーんと卯月さんが目を見張る。
「お前笑うと可愛いなぁ。で、なんで調理師?やっぱ料理上手いから?」
「うーん、それしか出来ないからかなぁ。すぐお金貰えそうだし」
「仕事すりゃどこでも給料はくれるだろ、なに?それが目的?」
「うーん……そう、かなぁ。刹那にばっかり負担かけるのも。俺が稼げるようになれば楽になるし」
「ごめん、俺が言う事じゃ無いけど、高三だろ?今は自分の事を考えたらどうかな」
自分の事って、刹那と二人、今までみたいに暮らして行けたら俺は。でも、刹那は……。
「朔実くんを見ていて思うのは、自虐思考が少し強いね。本当は職員に不満があるのに言えなくて、他人を遠ざけて刹那さんを囲い込んでいる。何が不満なのか言ってごらん」
なんだ、ここに連れて来たのは説教のためか。
はぁっと俺はため息を吐いた。
卯月さんと話すのはちょっと楽しかったんだけどなぁ。
「じゃあ俺が言うけど、何をされるのか分からなくて触らせたくないんだろ。リハビリを受ける患者様に俺は逐一口に出して説明するんだけど、同じ事をしたらあっさり俺に任せて昼寝してた。朔実くんは他の職員にも行動する前に説明して欲しいと思ってる」
「それは、まぁ。でもみんな忙しいし、やる事はやってくれて間違い無いし」
「分かった。そこは俺が看護師長に言っておく」
「や、待って」
そんな事をされたら仕事にケチをつけるような物で、仕返しに刹那を雑に扱われるかも知れない。
焦った俺の表情を読んだのか、卯月さんは大丈夫だからと俺を制する。
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だから。それくらいの要望、他の人はみんな出してる。むしろ付き添いが高校生なら全て初めての事なのに、大人と同じ対応をしてたら説明不足だ」
そういうもんなんだろうか。確かに俺は何も知らなくて、文句を言うくらいならやった方がいいと思ってた。
「それから、心配なのはメンタルなんだけどね。家族はこんな場合どうして刹那さんが……ごめん、死のうとしたのか考える。で、何が悪かったのかと自分を責める」
言われて、ドクっと心臓が鳴った。
ドクドクドクドク、胸が焦るように絞られる。そうだ。俺が悪かったんじゃ無いか、俺が負担をかけすぎだんじゃ無いか、ずっと思ってた。
だから子供の頃の事ばかり夢に見て、過去に原因を探して。
だけど今は、もしかしたら殺されたのかも知れないと思い始めてる。
あの一千万のせいで。
「朔実くんは無口で喋らないだろ。元々そうならいいけど、大きな負担を感じて喋るのもおっくうになっているんじゃないかと心配してる」
いっそ殺されたと言われた方がマシだ。
そしたら俺のせいで死のうとしたんじゃ無いって、楽になれる。
「やだな、元々無口なんですよ」
「上のお兄さんとのやり取りを聞いていると、そうとは思えないけどね」
だから大人は嫌だ。些細な事にも目ざとくて、ああでも無いこうでも無いと憶測で物を言う。
「あ、今うるさいと思っただろ」
「いえ……」
「俺も朔実くんに踏み込むのは怖いよ。今まで担当した患者様とその家族の中で、一番不安定で、相手が朔実くんじゃ無かったら知らん顔で何も気付かないふりを通すかな」
じゃあそうしてくれればいいのに。
「でも、朔実くんだから放っておけない」
真っ直ぐに見て来る眼差しが真剣で、まるで怒られているような居心地の悪さに、俺は俯いて逃げる。
なんで怒られるのか分からないけど、きっと俺が悪い。
「すみません」
「違うよ、怒ってるわけじゃない。朔実だから放っておけないって言ってるんだよ」
じゃあどうしろって言うんだろう。
「俺はね、話して欲しいと思ってる。苦しい事、辛い事、楽しい事も、もっと言えば思った事を全部そのまま。何を言ってもいいから」
踏み込んで来過ぎだ。そんな事を言われても不快感しかない。
俺は視線を泳がせて逃げ場を探した。
黙り込んだ俺に、ごめんねと卯月さんが張り詰めた空気を和らげて笑った見せた。
「今はそんな場合じゃないよな」
もうこの話は終わりと空気を払拭する笑顔に、やっぱり俺は何か失敗したらしい。へこむ。
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