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第17話
刹那の容態、刹那の転院先、考えなければならない事と不安は山ほどあるのに、兄貴と暮らし始めたら、親父の所に行って金を貰って来いというプレッシャーをかけられている。
「朔実、疲れてるなぁ大丈夫?」
今日は転院先のおすすめが無いか、卯月さんの部屋を訪ねていた。
床にパンフレットを広げて、テーブルの上は酒とツマミ。卯月さんは家だといつも呑んでるし、好きなんだろうなぁ。
「どうした?言ってみろよ」
テーブルに肘をついて上半身を乗り出して来たけど、俺は曖昧に笑ってごまかした。
「それより病院どうしよう」
「県内にさ、いいリハビリ専門病院が有るんだよ。そこがおすすめかな。で、刹那さんに合うようだったら、三か月後に数日うちの病院に転院して、また戻るのを繰り返す」
「そんな事できるの?」
「出来ない事は無いね」
そうなのか、てっきり同じ病院はダメなのかと思っていた。それが出来れば学校に通いながら刹那の側に居られる。転院先は遠い物と思っていたけど、県内なら会えなくなる訳じゃ無いし、それがいい。
「兄貴に言ってみる」
意気込んで言ったら、待ってとすぐに止められた。
「これは双方空きベッドが無いと都合良く行かない。問題はうちの病院より向こうで、常に満床ですぐには戻れない。でも……」
そこで卯月さんがテーブルを回って俺の真後ろに立った。
不思議な動きに振り返って見上げると、天井からの電気に俺を見下ろして俯いた顔が影になっていて、何だか怖い。いつも笑ってるのに笑顔も無くて、違う人みたいだ。
卯月さんはそのまま俺の真後ろに座り込んだ。
「えっ、ちょっと」
開いた足の間に俺を挟んで、背中から抱え込まれる体勢にギクッとする。へその前に両手を回されて、さすがにこの距離は抵抗がある。
「じっとして」
「ちょっと」
「顔見られたく無いんだよ、今から卑怯な事言うから」
卑怯なこと?
卯月さんを卑怯とは思った事が無いけど、大事な事なんだろうと、俺は大人しくする。
酒の匂いと酔って上がっている湿った体温と声が背中に密着していて、こっちまで酔いそう。
「たった一人で刹那さんに付き添う朔実は可哀想だったよ。不安に押し潰されて、疲れた顔で一人で泣いて。みんなが朔実を気にしていたけど、朔実はどんどん内側にこもって行った。みんな状況を分かってるから怖くて朔実に近付けなかったんだよ」
でも卯月さんが変えてくれた。苦しくて苦しくて仕方なかった俺をいつの間にかすくい上げて、楽にしてくれた。
「正直俺も、近付くのは怖いなぁと思った。だけど誰にも懐かないのがだんだん懐いて来ると、なんか、こう……たまんないんだよね、可愛くて」
それのどこが卑怯な話なのだろう。
酒臭い息が外耳にかかるくすぐったさに、首をかしげて自分の肩で耳を擦る俺に、背中の卯月さんが小さく笑う。
「今の朔実は余裕が無い。だから逃がしてこのままいい人でいようかなと思った。けど終わりが見えて来たら、いい人じゃ居られなくなった」
そこですうっと息を吸い込む音が耳元で聞こえた。
「都合良く向こうの空きベッドを確保するには、コネが必要だよ。交換条件は朔実だ」
交換条件が、俺。
ちょっと良く分からない。どういう意味か振り返って聞きたいけど、顔を見られたく無いと言っていたし、背中から抱き込まれたこの姿勢で振り返ったら、顔がぶつかりそう。
「触っても意識しないから、朔実は男をそういう対象にしないんだなと知ってる。でも世の中にはそうじゃない奴もいて、俺みたいなのから見るとお前相当可愛いよ。寂しがりやで劣等感の塊で、庇護欲を刺激する。かと思うと捻くれ者で生意気で懐かなくて、だから懐かせると特別感がある。朔実が笑うなら何でもしてやりたくなる」
「え、あの……卯月さんみたいなって?」
「ゲイ」
耳元ではっきり言われて身体が硬直した。
うっそ……全然気付かなかった。
「お前の知らない世界があって、お前はその世界の男を刺激する。自覚しろ」
自覚しろって言われても……。
何をどう自覚したらいいんだ、俺はそんな世界知らない。
「きっと朔実は新しい病院で俺じゃ無い頼れる誰かを見つけて、今度の相手は遠慮はしないかも知れない。そう思ったら離せなくなった。卑怯でごめん、刹那さんと離れたく無かったら、俺と付き合って。これがベッド確保の交換条件」
卯月さんと付き合う。男同士で付き合う……。と言うか、何で俺?
あー……と、俺は迷う視線を部屋の中に彷徨わせた。
付き合うって、卯月さんと?
俺は男で卯月さんも男で、見たまんまそうで。だから格好いいのに彼女が居なくて、結婚出来ないジンクスの寮に平気で住んでるのか。ジンクスとかどうでもいい、ヤバイ俺、混乱してる。
男同士で付き合う意味が分からない。付き合ってどうするのだろう。今みたいに部屋でまったりとか、二人で刹那の病院に行ったりとかかな。それなら別に……キスもするのだろうか。
自分と卯月さんのキスシーンを想像してみても、やっぱり言葉が出て来ない。
「刹那さんの看病を邪魔する気は無いんだ、俺以外の誰も好きにならないなら、それでいい」
それなら別にいい気がする。どうせ刹那に付き添って、誰かを好きになる時間も余裕も無いだろうし。
「他の誰かを好きにならなければいいの」
言葉尻を取る俺の聞き返しに、今度は卯月さんが一瞬詰まる。けれどすぐに、そうだねと諦めたように呟いた。
他の誰かを好きにならなければいい。俺にはとても簡単なように思える。
でも卯月さんは、自分を好きになってとは言わなかった。
もしも学校の女の子にコクられたらと想像してみれば、いいよと返したら相手を好きになる前提で付き合う事になるのに、いいのだろうか。
卯月さんを好きにならなくても、他の誰も好きにならなければいい。
そういう事か……。
「分かった。卯月さんと付き合う」
俺にはこれしか答えが無いのだ。
誰かを好きになる余裕なんて無いのだから。
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