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第21話
肩を組んで密着されて、ソファーの背もたれに押さえつけられて。
ヤバイ。暴力を受けている訳じゃ無いのに、いっそ殴り合いの方がマシだ。俺を舐め回す視線が嫌だ、髪を撫でる手つきが嫌だ、太ももに手を置かれて寒気が走る。
けれど男はいきなり、残念と離れた。
「保護者の到着」
「え?」
男の視線を追って通路の方を見ると、強張った表情の卯月さんがこちらに向かって歩いて来ていた。
「この子で合ってる?」
「あぁ、助かった。ありがとう」
「本当ギリ、妙なのに引っ付かれてたぞ。躾が甘いんじゃないの」
面白そうに言って席を立った男と卯月さんが入れ替わって、今度は隣の席に卯月さんが座った。
なんで。
「お兄さんと喧嘩したんだってね、朔実がうちに来たら追い返してくれと連絡があった。喜んで待ってたのに、なんで来ないの」
「喜んで待つの変」
「おかげで寿命が十年縮まった。俺は頼りにならないって意味かな?」
「さっきの人、知り合い?」
「そう。捜索願をラインのタイムラインに上げたから」
捜索願はそれの事か。やっぱりお巡りさんじゃなかったし。
「ごめんなさい。卯月さんに迷惑かけるつもりは無かったんだ」
「かけていいから。兄弟喧嘩に口は出さないけど、こういう時はうちに来ていいから。居なくなられる方がよっぽど心配する。そういうの分かって」
なんだろう。
卯月さんには関係ない事で家出したのに、必死で探してくれる。別に放っておいても明日には病院に行くのに、ちゃんと探してくれて。
知らない誰かよりも、卯月さんが隣に居るとホッとする。
「俺……なんで卯月さんの所に行かなかったんだろう」
今となってはフラついていた自分が分からない。真っ直ぐ行けば良かった。
「その程度なんでしょう、俺の事なんて。分かってるけどね」
そうじゃない。そんな事は無い。
「さっきの人にベタベタ触られた」
「どこを?あいつそういう奴じゃないはずだけど、朔実で遊んだな」
ごめんなと謝る言葉に、違うんだと俺は首を振る。
「それは別にいいんだ。けど、この人そうなんだって思ったら気持ち悪くて凄く嫌だった」
気持ち悪くて嫌と言う言葉に卯月さんが傷付いた顔をしたから、聞いてと、俺は卯月さんの手を握る。
いつ触っても温かな手に自分から触れたのは、初めてかも知れない。
「同じ事を卯月さんにされても、気持ち悪いとか嫌とか思った事が無い」
ふっと、卯月さんの表情が変わった。痛そうな気配が消えて、まだ笑わないけど俺の目を見てくれた。
「そっか」
「うん。卯月さんだと平気だって知って、なんでかよく分からないけど、なんて言うか、卯月さんだけ特別」
「や、ちょっと待って」
卯月さんは俺が握っている片手はそのままに、もう片方の手で自分の口元を覆い隠した。向けられた横顔がみるみる耳まで赤くなって行く。
え、なんで。
卯月さんがいきなり照れてる。
「素で言ってる計算の無さが、俺にはメチャメチャ恥ずかしいんですけど」
そう言われて自分のセリフの意味を考えたらヤバイ、確かに恥ずかしい。他の人じゃ嫌だけど卯月さんだけ特別だなんて、好きだって言ってるようなもんだ。ヤバイ。違う、恥ずかしい。
気付いてしまったら俺の方が恥ずかしい。顔が熱い。
「そうじゃなくて、さっきの人は目付きとか雰囲気がやらしかったから。卯月さんにはそういうの感じないから大丈夫って意味で」
「いやいや、感じてくれてもいいんだけど」
「ちゃんと分かって。俺は……」
恥ずかしい。言えば言うほど墓穴を掘ってる。
分かってると卯月さんが笑うけど、絶対分かって無い。
あー……。
「それで、なんでここに居たの」
「雨宿りでたまたま」
「そう。そこの信号渡ると良くない店が多いから、この辺りは治安が悪いよ。さっきのが奴が言ってた妙なのって?」
良くない店というのは未成年者の行くような店では無いという意味なのだろう。黒服がタクシーを出迎えてるのを見た。
「遊びに行こうって誘って来た人が居た」
「女?」
「若い男」
はぁ……と、卯月さんがため息を吐く。
「そういうのに着いてくと、楽しく遊びながら悪い薬打たれるかも知れないから、もうここ来るな」
「えっ」
そんな落とし穴がこんなに簡単に口を開けているなんて。
お町怖い。
「朔実、お兄さんに連絡してな。心配してるから」
兄貴は心配しないと言い返しそうになって、さっき叱られたばかりだからやめた。
兄貴は俺のことよりも、卯月さんに迷惑をかける方が気掛かりなんだ。
「朔実が俺の部屋に来るようになった時、お兄さんに挨拶された。弟が二人ご面倒をお掛けしますって。それから、何かの時のためにって携帯番号を交換した」
黙り込んでいると、横顔にチラチラと視線を感じる。
「しっかりしてるなぁと思った。お兄さん幾つだっけ?もし俺に弟がいても、同じ事は出来ない」
「職員に携帯まで聞いたらやり過ぎだろ」
「刹那さんじゃ無くて、朔実の心配だろ。危なっかしくて放っておけないのに、朔実にはどこにで行ける足が有る。見張ってられないからって意味だろ」
「俺は別に、刹那の側から離れたりしない」
だから卯月さんに携帯まで聞く必要なんか無い。
「懐かない朔実を見てると、お兄さんは不器用な人だなと思うよ」
俺は爺さんの愛情に気付くまで十五年かかった。本当に不器用な人だった。そんな爺さんに、兄貴はそっくりだ。
「刹那さんがこうなって、万が一朔実までと考えたら、あの人は怖いと思うけどね」
「そんな事……」
「まぁ、ね。けど余計な心配でも不安になるだろ、朔実一人が傷付いてる訳じゃ無いんだよ」
俺は……。
兄貴の気持ちを考えた事があっただろうか……。
俺と刹那の十年後まで考えてる。金の事しか言わないのは現実切羽詰まっているからで、兄貴が自分の十年後を語った事があっただろうか。
全部俺と刹那の事だ。
あの一千万だって今使えば楽になれるのに、自分の事より刹那の一生を考えて、今は使えないと言った。
泣きそうになって、俺は唇を噛んだ。
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