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第22話

 その晩は卯月さんの部屋に二人で帰宅して、物音を立て無いように静かに静かに玄関ドア閉めた。何しろもう深夜を回っていて、こんな時間にバタバタやったら近所迷惑もいいところ。  交互に風呂に入ってから床に座布団を並べて寝ようとした時に、こっちこっちとベッドの上から手招かれて、あっと思う。  以前泊まった時は何にも考えないで一緒に寝たけど、今夜はなんか嫌だ。 「朔実、なんで来ないの。座布団じゃ足出るだろ」 「大丈夫。電気消すよ」  リモコンで照明を小さく絞ると、柔らく薄暗いオレンジの中で見られている気配がする。  一呼吸置いてから、卯月さんのため息が小さく聞こえた。 「じゃあ俺がそっちで寝るから、朔実はベッド使いな。疲れたろ」  疲れてるのは卯月さんの方だと思う。昼間は仕事をした上に、心配して何時間も探してくれて。 「ゆっくり寝て欲しいんだ。もうあんまり寝る時間無いけど」 「またそんな気を使う」  ベッドから降りてのしのし歩いて来た卯月さんは、ポーンと俺を足で蹴って座布団の上から転がり落とした。俺がゴロンと転がった隙に、さっさと座布団の上に横になってる。 「朔実は風邪ひいたら刹那さんの付き添い出来なくなるよ」 「それは嫌だけど、卯月さんが無理するのも嫌だ」 「じゃあ二人でベッドに行こう」  それもやだ。 「じゃあ勝手にしな」  卯月さんと同じ布団で一緒に寝るのは考える。同性でも恋愛感情なら俺が過去に女の子を好きになったのと同じ思いで、特別な事なんか何も無い。  ファミレスで助けてくれた卯月さんの友達は俺をからかっただけでも、おかげで男同士でもそういう対象になるんだと、生々しさに気付いてしまった。  知ってしまったら同じ布団には入れない。 「そんなに警戒しなくても、何もしないよ」 「警戒じゃ無いけど……」 「警戒しろよ」 「どっちだよ」  どっちもとつぶやきながら、卯月さんが座布団の上でまぶたを閉じた。そのまま寝に入る気配に俺はとても困ってしまう。迷惑をかけているのはこっちなのに、しかも仕事が有るのに家主を座布団の上に寝かせるとか。 「その態度、結構傷つく」 「え……」 「なんで朔実が一緒に寝たがらないのか分かる。知らなかった頃は意識しなかったのに、知ったら戸惑うのはやっぱり気持ち悪いと思ったのかなぁとか」 「そうじゃ無い」  慌てて否定しても、柔らかなオレンジの中で閉じられているまぶたは開かない。  誰も好きにならなければ、気持ちも要らないと言われた。そんな事が有るのだろうか。好きな人に自分を見て欲しいのは誰でもそうで、そばに居れば全部欲しくなって当たり前で。  俺はもしかしたら、卯月さんにかなり無理をさせているのかも知れない。 「ごめんなさい」  コロンと床を転がって卯月さんの懐に自分から転がり込むと、しばらく戸惑った後で卯月さんが背中からゆっくり腕を回して来た。 「何がごめん?」 「気持ち悪いとか誤解されるのは嫌なんだ。違うって伝える方法が……引っ付いてごめんなさい」  そう言うと、背中でふっと笑う気配がした。後ろ髪に吐息がかかってくすぐったい。  苦肉の作なのに。 「なんだろうなぁ、へそ曲がりは本当、慣れると可愛いんだよなぁ。朔実程若く無いんで、引っ付いてもどうって程のもんでも無いです。子供寝かしつけてるパパの気分かな」 「そんなに子供じゃないんだけど」 「憎たらしい口だな、黙って寝ろ」  怒ったそばからぶっと吹き出す笑いが漏れてる。 「朔実に出来る精一杯をくれてるんだなと思ったら、真面目に幸せ感じた。いいよ、そのままで。たまにイジケるから、そしたら構ってくれれば」  卯月さんはいつも俺を甘やかしてくれる。こんなに優しい人は初めてで、俺は何が返せるだろう。  ※※※※※  翌日の夕方、病室のドアをノックする音に俺は刹那のベッドサイドからそちらを振り返った。 「看護師さんかな」  待っててと、ベッドの上でうつらうつらしている刹那に声をかけてドアを開けた時、その向こう側に立つ人を見て俺は立ったまま凍り付いた。 「朔実?」  大きな二重の目尻に笑い皺が少し深く刻まれている、艶の無くなった髪の毛先をカールさせた中年女性は、口元に浮かべた笑みが今にも泣き出しそうに歪んで……。 「……母さん?」  ドクンッと、自分の内側で大きく心臓の跳ねる衝撃を感じた。鼓動はドクドクスピードを上げて加速して行く。  最後に見たのは中学の卒業式だった。まだ桜には早い冷えた空気の体育館で、隠れるように父兄席に座っていたのを覚えている。知らせもしなかったのに来てくれたと、あの時は嬉しかったけれど。  病室のドアの向こうにあったのは、記憶よりも老けて小さくなった母の姿だった。 「朔実」  俺の名前を呼んで、小さな手で懐かしそうに頬を撫でて。 「朔実、大きくなって。顔を見せて」  ドクドクドクドク、急激な焦りが胸を占めて行く。凍るように心臓が冷えて行く。  なんで今更……兄貴だ。  昨日の今日じゃ連絡を貰って急いで駆け付けて来た様が目に浮かぶようで、取られる。この人は結局俺と刹那を捨てたくせに、俺たちよりも再婚相手を選んだくせに、こんな時だけ母親面で俺から刹那を奪い取る気だ。  母さんが出て行った家で俺たちがどんな風に暮らして来たのか知っていたはずなのに、知っていて俺たちを見捨てておいて今更。  母さんは呆然と立ち尽くす俺の前を横切って、ベッドで一点を見つめている刹那の頬を撫でる。愛おしそうに大事そうに、震える細い手で刹那に触れる。  その反応は?  俺は刹那が何も反応しない事を祈りながら、ピクリとも動かない様子ほっとする。  刹那はもう母さんの事も覚えていない。俺のだ。俺がずっとずっと一緒に居て、俺だけを覚えている。  だけど、何を見ているんだ?  曖昧な瞳にいつに無く強い意志の輝きを持って、じっとこちらを見ている視線。  けれど俺じゃ無い、俺の後ろ。  自分の後ろを振り返ると、そこには廊下からドアに隠れて廊下病室を覗き込んでいる子供が居た。幼稚園児だろうか、髪を二つに分けて結んだ園服姿の女の子で、母に良く似た面差しの……。 「鳴海、ご挨拶して。お兄ちゃんたちよ」 「お兄ちゃん?」  まさか、あり得ない。  俺たちが居るのに再婚相手との子供を連れて来るなんて、無神経さが信じられない。  いつの間にそんな子供が生まれていたのか、存在すら知らなかった。逆に考えれば再婚してもう別の家庭があるのだから、あんなに小さな子が居たんじゃ刹那の面倒なんか看られない。  可能性としての希望が芽生えて、俺はその子供を見た。  だけどベッドの刹那が、今まで一言も喋らなかった刹那が、その子供に向かって初めて口を開いた。 「……くみ……さ、くみ……さ……」  本当の脅威は、そこに居た。

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