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第2話
黒島さんが女性と歩いていた。
俺を遊びに誘ってくれた日曜日だった。きれいな女性で、そういえば、前にも一緒にいる所を見たような気がする。
やっぱり、お似合いだ。
遊びに行くの、断ってよかった。
両手に抱えた食料品とか日用品が、ずしりと重く感じた。すぐに2人の姿は人混みの中に消えていった。
そうだよなあ。
部屋に帰って、荷物を棚に片付けていく。そのほとんどが即席麺、お湯を入れて3分待てば、お腹を満たせる便利な食料品だ。
そういえば、冷蔵庫、ないって言ったら、黒島さんに呆れられたんだった。今度、給料が出たら、頑張ってみようかな。
ぽたぽた、涙がレジ袋の上で跳ねる。
別にいいか。もう黒島さんと話すこともないだろうし。
どうしよう、涙が止まらない。手でぬぐってもぬぐっても溢れてくる。何を期待していたんだろう。ばかばかしい。
俺が、俺がせめてΩで、『僕』のようにきれいでαを惑わせるようなフェロモンを持っていたら。
突然、携帯電話が震えた。メールじゃない、電話だ。画面に『黒島さん』と名前が出ている。なんで、電話。別れ話とか、黒島さん真面目だから、俺にもちゃんとしてくれようとしているのかもしれない。
震える手で、通話ボタンを押す。
「も、もしも、し」
「井川くん? 今どこ?」
「え、部屋、です。自分の」
「……誰かと一緒? 何してるの?」
「いえ、1人です、けど。今日、は、バイトもないので、特に、何も、掃除とか」
「何それ」
何それ、って。声、怖い。溜息が聞こえてきた。
「今からそっち、行っていい? てか、今近くなんだけど」
「え、いえ、電話で大丈夫です、よ?」
「だから、何その大丈夫って」
「え」
「行くから、待ってて」
切れた。
黒島さん、怒っていた。なんだか、苛々していた。普段、あんなに笑って、にこにこしている人を、怒らせた。
怖い。どうしよう。待ってて、って今から? 部屋、片付けないと。ああ、落ち着け落ち着け。
右往左往している内に、チャイムが鳴った。
出ないまま棒立ちになっていると、更にチャイムと、俺の名前を呼ぶ声がした。
黒島さんだ。
「は、はい」
「――どうも」
機嫌悪い。あのときの女性は一緒ではないようだ。1歩引いて、玄関まで招き入れる。ドアが閉まった。
視線が強くて、目を合わせられない。
別れ話、ってこういう感じなんだ。嫌だな、気まずいな。嫌だな。嫌だ。
嫌だよ。
「なんで、俺のこと避けるの? なんで今日も会ってくれなかったの?」
「避けて、なんか」
「避けてるでしょう。俺達、あの日からまともに話してないんだよ」
嫌だ。別れたくない。けど、どうしたらいいのかわからない。
黒島さんの足先が、苛々と床を打っている。
嫌だ。
「――井川くんさあ、本当は別に俺のことなんか好きじゃないんじゃないの?」
「え?」
「好きだったら、普通、もっとこう時間を一緒に過ごしたいって思ってくれるものでしょ。ああもう、俺、馬鹿みたい。何が目的だったのか知らないけど、俺は、真剣だったよ」
足が動く。ドアの方を向いたようだ。帰る。ここで、これでおしまい?
「じゃあね」
「黒島さん!」
振り払われることを覚悟で、背中に飛びついた。黒島さんの体温、久しぶりだ。また涙腺が緩んできた。
「ご、ごめんなさい。俺、普通って、どうしたらいいのか、わからなくて」
嗚咽と、鼻水を啜るのに忙しくて、呼吸が苦しい。
それでも、必死に言葉を繋いだ。
「遊びに、行きたかったけど、迷惑かなって思って。黒島さん、いつも、友達といるから、邪魔かなって、声かけるの、できなくて。ごめん、俺、うまくできなくて、ごめんなさい。ほ、本当は、一緒に、もっといたかっ、た」
「井川くん……、そんなこと」
黒島さんの手が、前に回した俺の手に触れる。それさえも気がつかない程、俺は興奮していた。必死だった。
「それに俺、黒島さんの傍にいると、発情しちゃうから!」
言ってしまってから、しまったと思った。ようやく、我に返った。俺、またやらかした?
沈黙が痛い。やがて黒島さんの頭が、がっくり項垂れた。「は――……」、長い吐息が聞こえてくる。
緩んだ俺の腕を解くと、振り向いてくれた。怒ってない。ただ、眉毛は八の字の形をしている。困っている?
「井川くんは、消極的なのか積極的なのかよくわからないね」
「え?」
「けど、わかった。ごめん。井川くんみたいな考え方、想定していなかったというか。俺の方が一方的で、全然、思いやれてなかった。ごめん」
「あ、呆れてない、ですか?」
「うーん、納得はした。呆れてはない。難しいなあって思っている。けど、嫌じゃない」
「黒島さんの言っていることの方が難しいです」
「だよね」
ようやく、笑ってくれた。そのことにほっとする。「泣かせてごめん」、指が濡れた頬を撫でてくれた。
どくどく、心臓が今度は別の意味合いで鼓動を早くする。
まずい。
後退ろうとするも、黒島さんの腕の中に閉じ込められた。危うく悲鳴を上げそうになった。嬉しすぎて。けど、困る。
「あと、俺に興奮してくれてるのは嬉しい」
興奮とかそういうレベルじゃないんですけど。
どんどん身体が熱くなっていく。腕の力が抜ける。黒島さんのフェロモン、甘くていい香りがする。それにすっぽり身体中覆われて、思考がどんどん麻痺していく。
まずい。だめだ。その声が、もう随分と遠い。
「井川くん? なんか熱いけど、まだ体調が」
「んっ」
首筋を黒島さんの掌が撫でた。それだけで、身体が大きく跳ねる。運命の番に触れてもらえるなんて、幸せ、だ。
「黒島、さ、ん」
つま先立ちになり、すぐ目の前の黒島さんの鎖骨にキスをする。走ってきてくれたのだろうか、薄く汗を纏っていた。
そのまま頭を落とし、胸板に頬ずりをする。熱い。熱い。身体、熱い。
「抱いて、下さい」
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