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第3話 マオとの初対面
βクラスを出てαクラスに戻る途中、言い争うような声が聞こえて俺は足を止める。
「だーかーら。抜け駆けは禁止だっていってるだろ!」
「ちょっと差し入れを渡そうとしただけでしょ!」
「それが抜け駆けっていうんだよ!」
声の主はすぐに見つかった。窓の側で一目でオメガとわかるような小柄な生徒がふたり、顔を突きあわせて睨みあっている。
ひとりは赤のタイだから三年、もうひとりは青のタイで俺と同じ一年のようだ。
どちらもすごい剣幕で、横を通りすぎることさえ躊躇われた。
オメガってか弱いんじゃなかったっけ……と、思わず遠い目をしてしまうくらい、その言い合いは迫力があった。
「今度同じことをしたら、規律を乱すオメガとしてホムラ様の群れを抜けさせるからな!」
三年のオメガはビシッと一年のオメガに指を向け、そう言い残すとその場から離れた。
「なにソレ!!」
それに、残された一年のオメガは憤慨した様子でお菓子を持つ手を振りあげ、もうひとりのオメガの背中に「なんでそんなこと言われないといけないわけっ」と文句を投げつけている。
それからその場で地団駄を踏んだ。
「むーかーつーくううぅ。あの石頭! ホムラ様にはたくさんオメガがいるんだから、少しでも目立たないと存在すら認識してもらえないのに! お菓子を渡すくらいおおめにみてもいいんじゃない! きみもそう思うでしょ!?」
まさかここで自分にとばっちりがくると思っていなかった俺は、急にこちらを振り返ったオメガの勢いに押され、頷いてしまう。
怒り狂っていたオメガはそれに幾分か機嫌をよくしたらしい。
「そうでしょ、そうでしょ。きみ話がわかるじゃない」
腕を組んで、うんうんと満足げに首を上下に振っている。
「っていうかきみダレ?」
「……」
それからお互いにかんたんに名乗りあったところ、この一年のオメガの名前はマオだということがわかった。
マオ――猫 か。
確かにくりっとした目とか、気まぐれそうな雰囲気とか、気位が高そうなところは猫っぽいかもしれない。
「ぼく、最近ホムラ様の群れに入ったんだけどね。ホムラ様ってすごく人気でライバルのオメガもものすごく多くて、お話だってまだ一度しかしたことがないんだ」
ぱっちりとした猫のような目を細めて、マオがほうとため息をつく。
マオの話によると、その一回というのも、学園内でホムラ先輩のフェロモンに引っかかり群れに入りたいと頼みこんだときの一回らしく、それ以降まともに口をきくこともできていないらしい。
「これじゃ何のために群れに入ったのかわからないよ」
さっきの勢いはどこへやら。すっかりしおらしくなってしまったマオ。
それはさすがにあんまりかもしれないと、同情する。
群れのあり方はアルファによってちがうのだろうけど、入れるだけ入れてあとは放置というのは疑問に感じた。
「それに、ホムラ様はシズク先輩にすごく執着されているみたい。やっぱりあれだけ綺麗な方でないとホムラ様には釣りあわないのかな……」
さっきまでの勢いはどこへやら、しょんぼりと落ちこむマオがなんだか可哀想になってしまった。
確かにシズク先輩は神々しいくらいに美人だけど、マオはマオでとてもかわいらしい顔をしている。こんな風に落ちこむ必要はまったくないのに。
元気を出してもらいたくて、俺はマオの頭をよしよしと撫でた。
こうやってるとマオのことが本当に猫みたいに思える。
「そんなことない。にゃんにゃんも、カワイイよ」
宥めるように髪を梳いているとマオはぴたりと固まって、それからゆっくりと顔をあげた。
「…………にゃんにゃんって何?」
「猫ってマオって読むだろ。だからにゃんにゃん」
「は!? そのふざけた呼び方、ぼくのことなの!」
マオは顔を真っ赤にして叫ぶと、信じられないといった様子でこちらを睨んでくる。
怒っているようにみえるけど実は恥ずかしがっているのだろう。なんだか微笑ましい気持ちになる。
「ちょっとチアキっ、変なあだ名つけるのやめてくれない!? あと気安く頭撫でないでくれる!?」
「俺だったらにゃんにゃんのこと放っておいたりしないよ。ホムラ先輩の群れなんか抜けて、俺の群れに入ったらいい」
そうだ。
マオの可愛さに気づこうとしないホムラ先輩のところよりも、俺の方がマオを大事にしてやれる自信がある。こんな風に寂しくなんかさせない。
本気でそう思って、だからマオを群れに誘ったのだけど、しかしマオから返されたのはまさかの内容だった。
「なっ。べ、べべ、ベータが群れを持てるわけないでしょ!」
そんなことも知らないのかとプンプン怒るマオに俺は言葉を失う。
まさかマオも俺のことをベータだと思いこんでいるのか。
そこまでアルファに見えないものかと落ちこむけど、今は落ちこむより先に誤解を解くべきだと気づいて顔をあげる。
「いや、俺はアル――」
ファで、と言いかけたところで口を閉ざした。
さっきまで勢いよく怒っていたマオが、照れたように、控えめに笑ったからだ。
「でも……その、気持ちは嬉しかった。ありがと」
あまり甘え慣れてないような不器用な笑顔で、それがあんまり可愛いものだから、俺は自分がなにを言おうとしたかも忘れて見惚れてしまう。
「じゃあね」
そのあいだにマオは去ってしまった。
――――これは、フラレた内に入るのだろうか。
マオがいなくなった廊下で俺は自分自身に問いかけた。
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