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第4話 ムギと出会う

   たまには校庭にも行ってみようか?  昼飯はその時の気分でとる場所を変えている。雨の日は屋内だけど、それ以外は外で食べることが多かった。  今日は天気がいいので外で食べることにする。  午前の授業が終わると敷地内を散策がてらぶらぶらと歩いて、好みに合う場所を探した。  あまり人が多いと落ち着いて昼寝ができないから、できれば静かなところがいい。  そうやって見つけたのが木陰にあるベンチだった。  今日は弁当を用意してきたのでそれを広げる。料理は嫌いじゃないため、余裕があるときは作るようにしていた。  澄んだ空気のなか小鳥の囀りを聞きながら弁当をたいらげた俺は、ふとどこからか甘い香りを感じて首を回らせた。  するとベンチからほどよく離れた芝生のうえに、ちいさな人影を発見する。  なんとなく興味がわいて、弁当を片づけると荷物はベンチに置いたままその人影の方へ足を向けた。  芝生に足を投げだして座っているその生徒に近づくけど、どうやら本に夢中になっているらしくこちらに気づく様子はない。  しっとりとした綺麗な黒髪で、色の白い小柄なオメガだった。  ちいさな顔に不釣り合いな、大きな黒縁のメガネをかけている。  同じオメガでもシズク先輩のような神秘的な綺麗さや、マオのような華やかな雰囲気はない。だけど、かすみ草のような控えめな可愛らしさがあった。  読書の邪魔をするつもりはないので、彼の隣に腰かけて真剣に本を読むその横顔を観察する。  ぱっと見は無表情なんだけど、時折メガネの奥でやんわりと細められる目とか、わずかに上がる口角に楽しんでいることが伝わってきた。  こんなにすぐ隣に座っているというのにまったく気づかれないのも面白いなあと、思わずクスリと笑ってしまう。  しばらくすると眠気が襲ってきたので、このオメガの隣でいつものように昼寝タイムに突入した。  それからおそらく十数分ほどたったのだろうか。  目を覚まして欠伸をしながら周囲を見回していると、ふと隣に座っている人物とばっちりと目があう。  驚いているのか大きく目を見開いて固まっている。その様子が小動物のようでかわいくて、へらりと笑いかけた。 「読書はもういいの?」  そう言って上半身を起こす。 「……今日の分は、もう読み終わったから」  その子はぽそぽそと聞こえるか聞こえないかくらいの声量でそう返すと、戸惑ったように視線をさまよわせて膝へ落とした。 「そうなんだ。俺はチアキ。君は?」 「……ムギ」 「ムギ? かわいい名前だね」 「べつに、普通だよ」  もしかして眠たいのかと疑うほど、ムギのテンションは低い。そして無表情でもある。 「ムギはいつもお昼はここで食べてるの?」  問いかけにムギがこくりと頷く。  返事も最低限のみという感じだけど、迷惑がられている様子はないので、もともと口数が少ないのだろう。  もっとムギと話したいと思ったけど、時計を確認するとそろそろ昼休みが終わるころだった。落胆しながらも、少しの期待をこめてムギをみる。 「また明日、来てもいい?」 「? ボクに聞かなくても、好きにしたら」  ここは学校の土地なんだから、と返されてぱちぱちと瞬く。  もしかしたらムギは天然なのかもしれない。  とりあえず許可はもらえたので、嫌われていないと思っていいのか。俺はまた明日ムギに会いに来ることにした。 ◇◇◇◇  次の日。弁当を引っさげて昨日の場所に向かうと、ムギの後ろ姿を確認して気持ちが昂ぶる。  よかった、いた……! 「ムギ」  声をかけるとムギはちらとこちらを一瞥して、手もとのパンに視線を戻す。  もそもそと緩慢な動作でパンを頬ばる姿がかわいらしい。  さっそくムギのすぐ隣に腰をおろして弁当を広げる。両手を合わせて唐揚げに箸をつけていると、なにやら視線を感じて隣を見る。 「ん? どうかした」 「べつに」  ムギはバツが悪そうにフイと正面に視線を戻すと、小さな口でパンに齧りついた。  俺は首を捻ると弁当に視線を落とし、唐揚げを摘む。それからムギがさっきなにを見ていたのかに思いあたって顔をあげた。 「はい」 「なに」 「これ、ちょっと味見してくれる?」 「……味見?」 「そう。ムギが食べてくれると嬉しいな」  そう言って唐揚げをムギに向かってさしだすと、ムギは逡巡したのち、躊躇いながらも口を開けた。  パクリと口に含み、もぐもぐと口を動かすその表情がだんだん嬉しそうに緩んでいくのを確認する。 「おいしい……」 「ムギ、唐揚げ好きなんだ」 「うん。すき」  はっきりと顔にでているわけじゃないけど、幸せそうな表情にほっこりしてしまう。  手持ちのパンを食べ終えると、ムギはバッグの中から本をとりだした。昨日の本はすでに読み終えたのか、また別の本だ。  読書中のムギはなんだか生き生きとしている。本当に本が好きなんだろう。  そんな風に考えていると、ムギの方からかすかに甘い香りが漂ってきた。そういえば昨日も同じ香りがしたことを思い出す。  バニラのように甘いけど、どこかさっぱりとした良い香りだ。  もっと嗅いでみたくなって惹き寄せられるように読書中のムギへ身を乗りだす。俺は少し躊躇ったのち、ムギの膝のうえに頭を乗せて横になった。 「!」  さすがのムギも驚いた様子で本から目を離し、こちらへ視線を落としてくる。 「何してるの」 「ちょっとだけ膝貸して?」 「……」  お願いすると非難めいた視線を向けられた。  だけど特に膝から落とされるわけでもなく、本気で嫌がられてはいないと勝手に判断した俺はそのまま膝を借り続けることにした。  良い匂いがするし、ムギの膝は細い割にやわらかくてとても寝心地がいい。  ムギは諦めたのか面倒になったのか、はたまた本の続きが気になったのか、読書に戻る。  それに俺はこれ幸いとムギの膝枕を堪能しつつ目を閉じた。 「チ……キ……」 「……ん、……?」 「チアキ起きて」  からだを揺すぶられて目を覚ますと、真上にムギの顔があった。 「足痺れた。どいて」  拗ねたようにそう訴えると、ムギの小さな唇がへの字に曲げられる。  怒った顔もかわいいってどういうことだろう。 「ごめん」  締まりのない顔で謝罪し、体を起こす俺からムギはツンと顔を背ける。 「もう、しないから」  いちいちかわいい行動に俺は悶えるしかない。  そんな調子で昼休みを満喫していると、渡り廊下をぞろぞろと歩く一行を視界の端に捉える。その先頭に見覚えのある顔を見つけて思わず口を開いた。 「あ、ホムラ先輩だ。もしかして後ろのあれ全部オメガか?」  噂には聞いていたけどすごい人気だ。  いちにーさんしーごーろくしちはち……そこまで数えて面倒になった俺は数えるのを途中で断念する。  隣に目をやると、ムギはホムラ先輩たちを視界にいれて嫌そうに顔を顰めていた。こんなにあからさまに感情を表に出すムギは珍しい。 「そういえば、ムギはどこかの群れに入っているの?」  俺は重要なことを確認し損ねていたことに気がついた。 「ボクは群れに入るつもり、ないから」 「そうなんだ……」 「本当は、大噛学園に入るのだっていやだった。けど入らないと、本全部とりあげるっていわれたから」  忌々しい、という言葉がぴったりな表情でムギが口を曲げる。  なるほど。ムギは大噛学園に嫌々入学したのか。 「アルファとか、群れとか興味ない。ひとりで本読んでるほうが、楽しいし」  ムギを無理やり大噛学園に入れたらしい親御さんが聞いたら嘆きそうなことをつぶやくと、ムギは気を取りなおしたように読書をはじめた。  自分の群れに入ってくれたらいいなと淡い期待を抱いていた俺はだいぶガッカリしたけど、無理に迫って嫌な思いはさせたくない。  ムギに群れに入ってもらうことは、一旦諦めることにした。  だけど仲良くなりたいという気持ちに変わりはない。だからしばらくのあいだ昼休みはムギのところに通うことにした。  それくらいは許されるだろう。うん。  そんな感じで、ムギと昼飯を食べる日々が数日続いた。  時折、隙をみてムギの膝を借りて昼寝をして怒られてということを繰り返していたら、諦められたのか言ってもムダだと判断されたのか、最近は何も言われなくなった。  

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