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第7話 シズクと合同実習の説明
シズク先輩と触れあっているのは指の先ほどで、面積としてはほんの少しだというのに、俺の全神経はそこに集中していた。
白くて華奢なシズク先輩の指が、俺の指に触れている。
俺よりも体温が少しだけ低いようで、しっとりと滑らかでやわらかい。ツメも桜貝のように可憐で、αとΩで体のつくりがこうもちがうのだろうかと真剣に考えてしまう。
「だめ、でしょうか……?」
黙ったままの俺に断られると思ったのか、シズク先輩がだんだん気落ちしたような悲しそうな表情になっていく。
その長い睫毛が儚げに伏せられるのを目で追っていた俺は、ハッとして、離れていこうとするそのやわらかな手を引きとめた。
それに、シズク先輩が不思議そうに首を傾げる。
きょとりとした目で見つめられて、咄嗟にとはいえ手を掴んでしまったことに動揺した。
「いや、あの。逆に俺でいいんですか? シズク先輩とペアになりたいαは大勢いますし、相手を選ばないという選択肢ももちろんあります。無理をする必要はないんですよ」
シズク先輩は人気がある。
ホムラ先輩を筆頭に、たくさんのαがシズク先輩を群れに迎えたいと願っている。
実際、クラスメイトがシズク先輩狙いだと話していたのを聞いていた。なにも俺のようなαを相手にしなくとも、優秀なαを選び放題なのだ。
だからシズク先輩が俺と組みたいと言ってくれても、すぐに素直にハイと頷けなかった。
なのに、この手を離したくないと思っている自分もいる。
要するに俺は、シズク先輩に興味があるけど彼につりあう自信がなくて尻ごみしているのだ。
そんなふうに自分と葛藤していると、綺麗なアイスブルーの瞳を揺らしながらシズク先輩が唇を噛んだ。
「そんな……意地の悪いことをおっしゃらないでください。これまで合同実習へ参加することを避けてきていましたが、チアキ様となら、勇気をだせそうな気が、するんです……」
伏し目がちに話すシズク先輩に、俺のなかにふと疑問が生まれる。
――勇気? 合同実習って勇気がいるようなことなのか。
あれ?
そういえば合同実習って具体的になにをするんだっけ。
俺が知っていることは、一年生のはじめあたりにあるαとΩの合同の実習だということ。
それは二人一組で行われ、ペア決めには相性を見定めたり、事前に顔合わせをさせたりと大変気が遣われているということ。
そして、ペアになったΩは高い確率でαの群れに入る傾向があるということだ。
「実は俺、まだ何も聞かされていなくて。実習の詳しい内容は全然知らないんです。どういったことをするんですか?」
「えっ」
「え?」
驚いたよう声をあげたシズク先輩に俺も驚いて、ふたりで顔を見合わせる。
「そ……そうなのですか」
シズク先輩は俺が触れている方とは逆の手で握り拳をつくると、顔を真っ赤にして視線をさまよわせ、落ちつかないといった様子を全面に押しだす。
けれど突然、意を決したようにこちらに向きなおると、身を乗りだしてきた。
「あの……お耳を借りても、よろしいですか?」
「え、は、はい」
「失礼します」
ふわりと花を思わせるいい香りがして、肌から数センチと言わない距離からシズク先輩の気配がした。耳に、吐息があたる。
その状況に俺は完全に舞いあがってしまい、軽いパニック状態に陥る。
しかし、それはシズク先輩から伝えられた内容に一瞬で些末なことに変わった。
「合同実習というのは――――……です」
俺から体を離したシズク先輩の瞳は、羞恥からか潤んでいる。
教えられたことを理解したとたん顔にじわじわと熱が集中していく。
まさか、合同実習がそんな内容だとはまったく予想していなかった。クラスメイトたちはことのことを知っているんだろうか。
というかさっきシズク先輩は俺とだったら勇気をだせるって言ってくれたけど、それってどういう意味だ。
いや、今はそれよりももっと大きな問題があった。そのことを考えると合同実習に大きな不安を覚える。
考えこんでいると、引き戻すように声をかけられた。
「チアキ様」
「あ! えっ、はい」
「返事をお聞かせ願えますか……」
シズク先輩に促されて俺はソファのうえで飛び跳ねた。
ど、どうしよう。もしシズク先輩と組むとしてもこのことはちゃんと伝えなければ。
「シ、シズク先輩」
「はい」
「その。なんていうか俺、まだそういった経験がなくて。きっとスマートに進めることができないと思うんですけど、それでも構いませんか? それでよければ俺とペアになってください。お願いします」
勇気を振り絞って告白すると、シズク先輩はそう間を置かずに頷いてくれた。
「っ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「!」
「もともと合同実習というのは経験のない方のための救済でもありますから、心配される必要はありませんよ。そういった趣旨から、Ωもニ、三年から選ばれることが多いですし」
優しく微笑みながら大丈夫だといって受けいれてくれたシズク先輩は、さながら女神のようだった。――男だけど。
いやでも本当にきらきらと輝いてみえた。
それにしてもさすが三年生というか、シズク先輩は俺の知らない情報をよく知っている。
感心していると、名前を呼ばれた。
「チアキ様」
「なんでしょうか」
「あの……もう少しお側に寄っても、いいですか?」
シズク先輩に首を傾げながら尋ねられ、俺は笑顔のまま固まった。
今も決して遠い場所に座っているわけではない。というか数センチくらいしかあいていないのですでに十分近いといえる。これ以上近くというと――。
答えられずにいると、きょとりとした表情で申し出の理由を説明される。
「合同実習の前に少し、慣れておいた方がいいかと思いまして」
「そ、そういうことですね」
それならばと頷くと、シズク先輩は腰を浮かせてピッタリと触れあう距離に座りなおしてきた。
これだけでも心臓にかかる負担は大きかったけど、極めつけとばかりに肩に頭を預けられ目眩がした。
まずい。
まさかシズク先輩とこんな距離を近くする日がくるとは夢にも思わず、正直どうしていいか見当がつかない。
そしてやはりシズク先輩からは花のようなとてもいい香りがする。
シズク先輩を意識しすぎるあまり挙動不審になっていると、シズク先輩がその綺麗な顔を曇らせた。
「……もしかして迷惑でしょうか」
「! いやそんなことは決して! ありませんっ」
心配そうに見上げられて、即座に否定する。迷惑なんてとんでもない。けれどシズク先輩は俺の答えにいまいち納得がいかない様子だ。
「本当に? でしたら私のことはシズクと呼び捨ててください。それから敬語もおやめください」
「シ、シズク……?」
「はい」
名前を呼ぶとシズク先輩――シズクは嬉しそうに顔を綻ばせる。
か、かわいい。
いつもの控えめに微笑む感じも綺麗なんだけど、こんなふうに可憐に笑うシズクもとてもいい。
これは夢なんじゃないだろうかと本気で感じていると、隣でシズクがぽつりとつぶやいた。
「αの中にもチアキ様のような方がいらして、ほっとしました」
「俺?」
「私は特殊な容姿をしてるので、そのことで嫌な経験をすることが多いんです。特にαの方とは良い思い出がありません。αの方には……少し苦手意識があります」
「ああ。俺はあんまりαっぽくないらしいから。そういった意味ではこれでよかったのかな?」
βにまちがわれたくらいだから、シズクも俺にはα独特のものを感じなかったのかもしれない。
だから合同実習の相手に俺を選んでくれたのだろうか。
「そうですね……それもあるのかもしれませんが、私は、チアキ様が純粋に私のことを気にかけてくださったことを嬉しく思いました」
やわらかく口もとに笑みを浮かべながら、シズクは目を細める。
「だから私も、なにかチアキ様のお役に立ちたいと思っています。なにかあったらなんでも言ってくださいね」
そう言ってシズクにきゅっと手を握られて、胸がきゅんとした。
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