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第13話 にゃんにゃん
マオがホムラ先輩の群れを離れてまで俺のところに来てくれる気があるのか、それが心配だった。
しかしそれはすぐに何も問題がないと伝えられる。
「ホムラ様の群れからは、もうとっくに抜けてる」
どこか複雑そうな表情でマオがつぶやく。俺はそれに引っかかりを覚えながらも、既に群れを離れてくれていたことに安堵した。
「そっか、そうなんだ」
ほっと息を吐く俺をマオは上目で見ると、ゆるゆると視線を落とす。それからぽつぽつと話しはじめた。
「ホムラ様のことは……ぼく、多分焦ってたんだ」
「え?」
「Ωはαに所有されるかどうかで人生が180度ちがう。だからぼくはどうしてもαに気に入られたかった」
マオは眉を下げて、苦く笑う。
「ホムラ様を見たとき理想のαだって思って、あの方の群れに入ることができてすごく嬉しかった。だけど、ホムラ様にはぼく以外にもたくさんのΩがいて、なんとかホムラ様の目に留まりたくて必死になった」
「……」
「でもさ。最後までぼくは、ホムラ様のことをよくわからないままだったんだ」
もちろん誕生日だとか、趣味だとかそういう表面的な情報は調べれば手に入った。けど直接の関わりが持てない状態で、深いところまで知ることはできなかった。
そう話すマオは少しだけ、寂しそうな表情をみせた。
もしかしたらマオは、まだホムラ先輩のことを引きずっているのかもしれない。なんとなくそんな気がして、俺はホムラ先輩に軽い嫉妬心を覚える。
マオはそんな俺の感情に気づいた様子もなく、話を続けた。
「せっかくホムラ様のようなαの群れに入れたのに、すごく虚しかった。結局、ホムラ様は理想のαだけど、ぼくの相手じゃなかったってことだよね」
はじめて会ったときもマオはホムラ先輩のことで悩んでいた。あれからもきっとすごく考えて、群れを離れるという結論を出したのだろう。
「にゃんにゃん……」
そっと頭を撫でるとマオは擽ったそうに目を細めた。それからほんのりと頬を染めたマオがこちらに体重を預けてくる。
「ぼくは条件よりも気持ちが大事なんだって、チアキと会ってからよくわかった。チアキに会ってなかったら、今もまだホムラ様の群れにしがみついてたと思う」
「え」
耳まで真っ赤にしたマオが、照れくさそうに笑う気配がした。
「……だから、ぼくが一緒にいたいと思ったのは、αのホムラ様よりも、βだと思ってたチアキだったってこと」
まさかマオがそんな風に思ってくれていたなんて考えもしなかった俺は、不覚にも泣きそうになった。
その小さな体をぎゅうっと抱きしめて、絶対マオのことを幸せにしようと決意する。
「ちょっとチアキ、くるしい」
「わ、ごめん。にゃんにゃん」
思いのほか力がはいっていたらしく抗議されて、マオを抱きしめる腕から力を抜く。そんな俺をマオがじっと探るような目で見上げてくる。
「……さっきぼくが逃げてたときはマオって呼んだのに、やっぱりにゃんにゃんって呼ぶんだ」
ぽつりとこぼされて、俺は首を傾げながら尋ねる。
「だめ? かわいくて似合ってるのに」
猫っぽいマオにぴったりの、俺だけの呼び名だ。正直とても気に入ってるんだけど、マオが本気で嫌がっているんなら残念だけど呼ぶのを諦めるしかない。
ガッカリしていると、下から手が伸びてきて頬を両手で挟まれる。
「もう。そんなふざけたあだ名で呼ぶことを許すの、チアキだけだからねっ」
「! にゃんにゃんっ」
どうやら妥協してくれたらしいマオに嬉しくなってまた抱く腕に力をこめると、「ばか!」と怒られて、慌てて両手を上げた。
それから、このまま授業をサボらせるわけにはいかないので一旦お互いにクラスへ戻ろうということになった。
その際にマオのクラスまで送ることを申し出たが断られ、帰りに迎えに行くと言ってまた断られる。なぜかと問いただすもとにかくダメの一点張り。
なんでだ。まさか俺、マオにそんなに好かれてない?
そんなことが頭をよぎり落ちこんでしまう。するとそれに気づいたマオが慌てて口を開いた。
「ああもうっ、だから! チアキがΩのクラスになんか来たら、もしかしたら物好きなΩがいて、チアキに近づこうとするかもしれないでしょ!」
それはダメなのだと言い張るマオに、思わず笑ってしまう。まさかそういう理由だとは想像もしていなかった。
βにしか見られず、ひと月以上も独り身だった俺がΩのクラスに行ったところで少しでもモテる気はしなかったけど、マオはその少しの可能性ですら許したくないらしい。
かわいいなぁ、とつい顔がにやけてしまう。
「うん。わかった」
ゆるゆるに顔を緩ませながらそう伝えると、マオがほっとしたような顔になる。本当にかわいい。
俺はそんなマオの顎にそっと手を添えると上を向かせて、その可愛らしい唇に自分のそれを重ねた。
「……っ!?」
ふんわりとやわらかいマオの唇に唇を押しつけて、上唇を挟んでちゅっとリップ音をたてる。ゆっくりと離れると、目を見開いたままこちらを凝視するマオがいた。
「な、ななっなに」
「ん? マオとしたかったから」
「ッ!」
「嫌だったらもうしない」
「い、いやじゃない、けど……」
耳まで顔を真っ赤にしながらもごもごとか細い声で答えるマオに微笑んで、俺は腰を屈めるとふたたびその唇を塞いだ。
ふにふにとした感触を楽しんでから、マオの唇を割り開き、奥で縮こまっていた舌に触れる。
強ばりをほどくようにそれを優しく舐めて、溶かしていく。
「……ん、……ん」
鼻にかかった声をだしながら、とろりとした表情で目を閉じて、小さな舌で一生懸命俺に応えようとしてくれるマオが本当にかわいい。
マオのものをそっと俺の口内へ誘いこむと、ちゅうっと音をたてながら吸う。
「っ……んぅ……うん」
それにピクピクと跳ねるマオの腰を引き寄せて、さらに深く唇を合わせた。もうどちらのものかもわからなくなった唾液を、マオの細い喉がこくりと嚥下する。
唇を離すと、名残惜しいとばかりに俺とマオを一本の糸が繋いでとぎれた。
マオからはふわりと熟れた果物のような、甘酸っぱいフルーティな香りがする。俺は酸欠ぎみになっているマオの頬に口づけると、マオの耳にやんわりと歯を立てた。
「続きは、俺のとこにきてからしようね」
「……っ」
ひゅっと息を飲んだマオはこれ以上ないほど顔を赤く染めあげると、僅かに首を縦に振って頷いた。
ああもう。お互いに早くクラスに向かわないといけないというのに、行きたくない。マオと離れたくない。けどそういうわけにもいかなくて歯痒く思う。
そして、今度こそ俺はマオと別れて教室へ向かった。
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