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第14話 ムギと謝罪

   ムギが俺の前から去って、いつもの場所に姿を見せなくなってからも、俺は毎日あの場所に足を運び続けていた。  通い続けていたらいつか、あの芝生のうえにムギの背中を見つける日がくるかもしれないと期待したからだ。  そんな期待も数日がすぎるとだいぶ淡いものになっていたけれど、どうしても止めることができなかった。  そうやって今日も諦め悪くあの芝生へ向かうべく渡り廊下を歩いていると、途中で見覚えのある小柄な生徒が視界の端に飛びこんできた。  小さな顔に不釣合いな大きな黒縁のメガネをかけたΩ。 「……っ」  ムギだ。  なんでこんなところにいるんだろう? まさか俺に会いにきてくれたのだろうか。  ここは主にαが使っている棟から一般の棟に繋がる廊下で、Ωのムギにはあまり縁のない場所だ。Ωのクラスからは距離も割とある。  だからムギはなにか用があってここにいるのだろう。  バクバクと心臓が忙しない音をたてはじめる。すぐに声をかけたくなったけど、それを拳を握り締めることでなんとか押しとどめた。  とりあえず、落ち着け。冷静になれ。  あんな逃げるようにいなくなって、俺のことを避け続けているムギがわざわざ俺に会いに来るだろうか。  声をかけて、もしムギが俺に会いたくなかったら? 怖がらせたらどうする。  それはダメだと首を振る。  それに、もしまたムギに逃げられるようなことがあったら立ち直れる気がしなかった。その状況を想像するだけでひどく胸が痛む。  本当はすぐにでも理由を問い質したい。けど、理由を聞くのはムギが俺に会ってもいいと思ってくれたときだ。  それまで俺は焦らず待たなければならない。  幸い、ムギはまだこちらに気づいていないようだ。俺は今回、ムギには気づかなかったふりをすることにした。  そうやって無言で横を通過しようとしたとき。 「あ」 「!」 「チアキ」  こちらに気づいたムギに呼びとめられ、くんと制服がひっぱられる。  振り返るとひどく思いつめた顔をしたムギが、しっかりと俺を掴んでいた。  ゆっくりとムギに向きなおると瞳にその小さな姿を映し、静かに次の言葉を待つ。 「……」 「……」  ムギは緊張した面持ちでかける言葉を探しているようだった。そうしてようやくその小さな唇が開かれる。 「このあいだは……逃げてごめん、なさい」   沈黙のあと鎮痛な面持ちでつげられた謝罪に、やはりムギは俺を待つためにここにいたのだと確信した。 「ひとりで考える時間がほしくて」  申し訳なさそうな表情でそう伝えてくるムギに胸の奥がざわつく。 「……俺に、会いにきてくれたってことは、また前みたいに一緒に昼休みを過ごせるって思ってもいい?」  気持ちが焦ってしまい、つい気になっていたことが口をつく。これでもう会わないなんて言われた日には、俺は本気で泣くかもしれない。  そんな必死の問いにムギは小さく頷いた。 「チアキがいいなら、ボクもチアキとご飯を食べたい……」 「っムギ」  同じ気持ちだと伝えられ、感情が揺さぶられる。気持ちが昂ぶってムギに手を伸ばすと、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。  そんな俺にムギは驚いた様子だったけど大人しく腕のなかに収まってくれた。 「よかった。ムギ、ムギ」  ここ数日のあいだムギのことを考える度に苦しかった。もう無理なんじゃないかと、諦めないといけないんじゃなかと思ったことも数えきれない。 「ムギ。俺がαで、ムギが困る理由を聞いてもいい?」 「……」  またこんなことがあったら堪えられない。そうならないためにもきちんと理由を聞いておく必要があると思った。  俺の問いにムギは躊躇いながらもコクリ、と頷いた。  それから話してくれたのは、ムギがこの大噛学園に入る際に両親から必ずαを掴まえるよう強く言いつけられたこと。  ムギはその両親への反発心からαに関わることを避けていたこと。  そして俺がその避けていたはずのαだったことで、とても動揺したということ。  これらだった。 「Ωはαと一緒になることがなにより幸せだって、決めつけられるのがいやだった。そんなの、ひとそれぞれだし。ボクはαがいなくたって幸せをみつけられる」  ムギの両親はおそらく息子の将来を心配して口煩くなってしまったのだろうが、ムギには逆効果だったようだ。  ひとりが好きで、群れるのが嫌で、αにまったく興味がない。  興味がないのに何度もαや群れのことを言われ続けられたら、ムギじゃなくても鬱陶しいし、面倒だと思うだろう。関わりたくないと思うのも当然だった。 「だからムギはホムラ先輩が群れの子たちと歩いているのを見かけたとき、あんな嫌そうな顔をしてたのか……」 「ああいうのは、意味がわからない」  本気で理解に苦しむといった顔をするムギは、どうやら今もαや群れというものを面倒くさいと思っているようだ。 「でも、俺とは一緒にいてくれるんだ」 「チアキは本を読むの邪魔しないし、偉そうじゃないからいやじゃない」 「嫌じゃないだけ?」 「……」  もっとちがう言葉を聞きたくて尋ねると、ムギは考えこむように口を閉じた。それから一言一言を確かめるように話しだす。 「チアキが来なかった日。あの日は、このあたりがずっとモヤモヤしてて。……もしかしたらもう来ないのかもしれないって考えたら、もっと苦しくなった」  胸を押さえながら眉尻をさげるムギは、痛みを堪えるように唇を噛む。 「αには関わりたくないけど、チアキはゆるす。だからたくさんぎゅってして、撫でて」  そう言ってムギは俺の両腕に手を添えると、胸にぐりぐりと額を押しつけてきた。  

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