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第29話 ムギとホムラ、見えない炎
すぐ近くまでやってきたホムラ先輩をぱちぱちとまばたきを繰り返しながら見上げる。
「ホムラ先輩? どうしたんですか」
このひと、ついさっきまで二階の渡り廊下にいなかったか?
二階から一階に下りてさらにここまでやってくるにはあまりに時間が短すぎると思うのだけど、どれだけ俊足なんだ。
そんなホムラ先輩の額やこめかみに汗が滲んでいるのをみつけて、本気で走ってきたのだろうことを悟る。
息を弾ませながらきつい眼差しをこちらに向けるホムラ先輩に、なにか重要な用事でもあるのかと身構えた。
だけどそれは、ホムラ先輩によってあっさりと否定される。
「特に用事はない」
真面目な表情で言い放ったホムラ先輩に一瞬思考が止まった。
「……は?」
用事が、ない?
言葉の意味を飲みこめず思わず問い返すと、ホムラ先輩の表情がムッとしたものになってこちらを睨んできた。
「なんだ。用事がなかったら話しかけたらいけないのか」
話しかけてはいけないことはないけど、用事がないとすればなぜここまで息をきらせて全力疾走してきたのかがわからない。普通に歩いてくればいいのにと思うのは俺だけか。
ホムラ先輩の謎の行動に俺の頭のなかが疑問符で埋め尽くされる。
「いや、そんなことはありませんけど……」
戸惑いながらそう答えたとき、ふいに下から伸びてきた手に腕をグイと引かれてバランスを崩す。
「!? わっ」
驚いてその手の持ち主の方を向けば、きゅっと眉を吊り上げたムギがホムラ先輩を睨んでいた。
「だめ。チアキは今ボクとお弁当食べてる」
「ム、ムギ?」
しっかりと俺の腕を両手で掴んだムギが、ホムラ先輩に喧嘩をふっかける。突然なにを言い出すのかと目を白黒させていると、ホムラ先輩のこめかみに血管が浮くのを発見した。
「……おいチアキ」
「え、はい」
「さっきから当然のようにお前にべったり密着している、その小さいのはなんなんだ」
「え? ああ、俺の群れの子ですけど――こらムギ、上級生にそういう口の聞き方したらダメだよ。謝って」
さすがに失礼だと窘めると、ムギはぷいっと顔を逸らすとだんまりを決めこむ。こんな態度をとるムギは珍しくてどうしてしまったのかと戸惑う。
「すみません。いつもはこんなんじゃないんですけど、虫の居所が悪いのかな……」
さっきまでは機嫌よく弁当を食べていたはずなんだけど。
それともこんな態度をとってしまうほどαが苦手なのか?
「ムギ」
どうしたものかと、俺の腕に一生懸命しがみついているムギの前髪をそっと撫で上げると、その口がへの字に曲がる。それから不満そうに唇が小さく尖った。
「だって……せっかくチアキとふたりだったのに」
ぽつりと溢された言葉に目を見張る。
どうやらムギは俺とふたりでいるところにホムラ先輩が入ってきたことが不満だったようだ。
確かに、一日のうちでこの昼休みが一番ムギとゆっくり過ごせる時間だった。
俺との時間を大事に思ってくれているムギの気持ちをとても嬉しく思ったけど、こういう態度をとるのはムギにとってあまり良いことではない。俺は頭を悩ませた。
「うーんそうだな。じゃあ、今日の晩飯はムギと食べるよ」
ふたりの時間が減るなら増やせばいいのではないか。そう考えて提案すると、ムギの瞳がきらきらと輝く。
「ほんとう?」
嬉しそうに尋ねてくるムギに俺はしっかりと頷いてみせた。
「うん。だからホムラ先輩を仲間外れにしたらだめだよ」
「……わかった」
渋々と頷いたムギの頭をエライエライと撫でながら、これで丸く収まったかと一安心していると、今度は反対側から重低音が聴こえてくる。
「おい。さっきからベタベタしすぎだ。なんで弁当食うのにそんなふうにくっつく必要がある?」
仁王立ちしたホムラ先輩が両腕を組み、イライラとした様子で眉間に深い皺を刻んでいる。
正直なところ食べにくいのは確かなのでもっともな意見だとは思うけど、ムギがこの体勢を気に入っているようだから仕方がない。
俺もムギとくっつくのは癒やされるし、苦にならないから問題に思っていないんだけど。
だけどそれをそのまま話すとなんとなくホムラ先輩の機嫌が悪化しそうな予感がして、説明に悩んだ。すると先にムギが口を開く。
「くっつきたいから、くっついてる」
簡潔に告げられた内容に、ホムラ先輩の顔が盛大に引き攣った。
「羨ましいなら自分の群れに戻って、群れのΩとくっつけばいいよ。チアキはだめ」
「!」
「ちょ、ムギ……」
ホムラ先輩という危険地帯にばんばか爆弾を投下していくムギに、慌ててその口を塞いだが、手遅れだった。ホムラ先輩は俯いた状態で拳をぷるぷると震わせている。
あ……これ、やばいか?
「チアキ」
「は、はい?」
強い口調で名前を呼ばれて、体を強ばらせる。
「俺の群れに入れ」
「いや、無理ですね」
前にも似たようなやりとりをしたことを思い出して冷や汗をかきながらも、きっぱりと断る。するとカッと目を見開いたホムラ先輩が弾かれたように顔をあげた。
「なぜだ!?」
「俺は群れに入る側になる気はありません。ホムラ先輩が俺の群れに入ってくれるなら、喜んで受け入れますけど」
「……っ」
このやりとりも、以前した気がする。
男のα同士は子供ができないし、Ωやβに比べると柵 も多い。プライドが高くて主導権を握りたがるから、どちらの群れに入るかなどは平行線を辿るのが通常だろう。
ぶっちゃけ不毛でしかない関係だ。
現に俺もホムラ先輩もどちらかの群れに入るつもりがない。これは俺たちだからではなく、αとは大概そういう生きものだ。
そんなだから俺もこれまでαを群れに入れるなんて想像すらしたことがなかった。
そう。なかった……けど今は少し変わったのか?
正直なところ俺は現在、αでもホムラ先輩なら本気でアリだと思ってしまっている。
このひとのストレートなところとか、意外に純粋なところを俺は好ましく感じていた。
それと、これまでホムラ先輩は好奇心や物珍しさから俺に構ったり群れに誘っているのだと思っていたけど、どうもちがうんじゃないかと考えを改めだしたのだ。
さっきまでホムラ先輩の行動の意味不明さに戸惑ってたけど、気づいた。
これまで訳がわからなかった行動は全部、ヤキモチなんじゃないか? って。
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