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if番外編 ハーレムを築けなかったら4
4.失態
午後の最後の休み時間。βクラスからαクラスに戻る途中、階段の踊り場で蹲っている具合いの悪そうな生徒を見つけた。
俺は慌てて駆ける寄るとかがんでその子に声をかける。
「大丈夫?」
顔を覗きこむと、顔を赤く染めて息を荒げている。その様子にどういった状況なのか思い至った直後、辺りにぶわりと甘ったるい香りが広まった。
“あ、やばい”と思ったすぐあとに鼻と口を押え、その場から全力で離れる。
――――オメガのヒートだ。
途中でアルファの教師を捕まえて、あの場へはオメガの教師を向かわせるように頼んだ。
オメガのフェロモンにあてられた俺はなんとかアルファの校舎にある保健室まで辿り着くと、ベッドに潜りこむ。
養護教諭の姿はなく外出中の札がさがっていたけど、鍵は開けられていたのが幸いだった。今の状態で、寮の自室まで帰れる気がしなかったから。
「あー……失敗した」
火照る体と息苦しさに溜め息をつきながら寝返りをうつ。
あそこで声をかけたのは完全に迂闊だったとしかいいようがない。具合いを悪くしているオメガがヒートをおこしている可能性なんて、考えればすぐにわかることだ。
少し、浮かれていたのかもしれない。
オメガはヒートの周期を管理されているため滅多にこういうことはおきないんだけど、予定外のヒートというのも稀にある。
いつもはそういう場合に備えて、自衛のためにヒート抑制剤を飲んでいた。
それを今日に限って飲んでいないのだから、間が抜けているとしか言いようがない。肝心なときに飲まずにどうするんだ。
だけど事故がおこることはなんとか回避できたから、そこだけは自分を褒めてやりたいと思う。
ヒート時のオメガのフェロモンに抗うには、かなりの精神力が必要だ。しばらく動ける気がしなくて、俺はポケットからスマホを取り出した。
元毅に、今日は一緒には帰れそうにないから先に帰っていて欲しいと伝えるためだ。
短く文章を打ってからパタリと腕を投げだす。
すると少ししてから、どこにいるのか問いかける内容が返ってきた。
「……」
今顔を合わせるといろいろ大変なことになりそうだから、場所は教えたくない。とにかく大丈夫だということを返信して、電源を落とした。
――――それからどれくらいの時間がたったのかはわからない。
長いような気もしたし、それほど経っていないようにも感じる。突然、バタバタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、勢いよく保健室の扉が開かれた。
「!?」
驚いて思わず上半身を起こすと、閉めていたカーテンがシャッと音をたてて開かれる。
「なに電源切ってるんだよ。すっげぇ捜した」
「……っ、もと」
幼馴染みの登場に息を飲んでいると開口一番に怒られた。文句を伝えたら幾分か落ち着いたらしく、唇をへの字にしたままこちらに近寄ってくる。
「待って」
それを慌てて制止する。
「今、結構やばいから。近寄んないで」
「はぁ……?」
元毅は俺の言葉に眉を寄せて、怪訝そうな表情になる。それからすぐにこちらを気遣うような視線を向けてきた。
「そんなに具体悪いのかよ。大丈夫なのか」
「具合っていうか……」
オメガのヒートにあてられたなんて格好悪いことを正直に話す気になれず言いよどんでいると、元毅が手にしていた荷物を椅子の上に置いた。
元毅のものと、俺のもの。わざわざ持ってきてくれたのか。
「顔赤い」
そちらに気を取られているあいだに、いつの間にかすぐ近くに元毅の姿があって、顔を覗きこまれていた。
「っ!」
ひんやりとした手のひらが額に触れた瞬間、俺は元毅の腕を掴んで引き寄せていた。
倒れこんできた元毅が驚きの表情のまま固まっているのを見上げながら、口を開く。
「発情してるから」
「……っ」
「迂闊に近寄ってきたら、抱くよ」
理性はほとんど限界を迎えていたけど、なんとか堪えて忠告する。
心臓がドクドクと早鐘を打っていて、元毅と触れあっている部分が熱くて、ぴりぴりと痺れていた。呆然として薄く開いた唇を今すぐ塞いでしまいたいという欲求と、それを抑えこもうとする感情がせめぎあう。
「だ……抱くって」
酷く混乱したようにつぶやく元毅に、焦りから苛立つ。俺の幼馴染みはこの状況の危うさをまったく理解できていない。
「俺は元毅と結婚するつもりでいるし、それくらい好きだし、かわいいと思ってるから」
「……な、ッ……」
「だからキスもそれ以上もしたいし、その内するつもりでいるけど、こういう勢いでしたくないから我慢してるんだ。だからもう……っ分かれよ!」
説明しているうちにいよいよ限界を感じ、声を荒らげる。
それに元毅の身体がびくりと跳ねる。そうして戸惑っているのか、視線を左右にさ迷わせながら口を開いた。
「……いや……お前がおれのこと好き、とか初耳だし……」
うん、確かに言ってない。
そもそも気づいたのは最近だし。だから言ってないんだけど、今はそういう話をゆっくりできるほど俺は冷静じゃない。
もう自制心が溶けかけていた。目の前の男の後頭部を引き寄せてめちゃくちゃにしたくて、手を伸ばしかける。
けれどそれよりも先に、唇に柔らかい感触がした。
触れあっただけのそれがスローモーションで離れていく。
「……もと、き?」
「そういうことは、もっと早く言え」
ちょっと状況が把握できなくて固まっていると、耳まで赤くしながらぶっきらぼうに文句を言われた。
「いーよ。お前が、おれのこと好きなんだったら……別に、触っても」
辛いんだろ、と照れを隠すようなむっつりとした表情で言われてその後の記憶が一瞬だけとんだ。
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