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21:血縁
微かに言い合う声が聞こえたような気がして、桔梗はゆっくりと目を覚ます。玲司との濃密な時間を過ごしたせいか、喉が掠れたように渇き、体も妙に重怠い。
だが、突発的な発情 は玲司と交わったおかげで、随分軽くなった気がする。
桔梗はベッドから起き上がると、多分玲司が着せてくれただろうパジャマの上から、ふわもこのロングカーデを羽織り、声のした方へと足を向ける。
「……ところで、桔梗さんは知ってるの? 僕と玲司兄さんの関係」
扉に手を掛けた途端に聞こえた声に、桔梗は瞠目する。くぐもって判別しづらいが、発言したのは、玲司の弟の凛なのだろう。
「いえ、まだ。あの後色々あって話せる状況ではありませんでしたので。ですが、桔梗君に隠し事をしないと決めたので、ちゃんと話すつもりですよ」
「玲司さん?」
妙にざわつく胸を押さえ、桔梗は思い切って扉を開けて番の名を呼ぶ。突然割ってきた存在に気づいた二人は驚いた顔でこちらに視線を向けてくるが、ふらつく桔梗を支えるようにして近づいた玲司が、そっと腰に手を回してくる。
「すみません。煩かったですか?」
「いえ、だいじょうぶです。ちょっとのどがかわいて……ごほっ」
「あぁ……昨日は随分声出してましたからね……。ぬるめのはちみつレモンを作ってきますので、ソファに座って待っててくださいね」
コクリと頷き、玲司のエスコートでソファに腰を下ろす。立っているだけでも腰に負担がかかっていたから、とても助かる。
そんなほっとしている桔梗の前に、凛が静かに一人掛けソファに座り、ニヤニヤとこちらを見ている。こういった所は義兄の総一朗ぽいなと思うものの、先ほど二人が交わしていた会話が気になってしまい、訝る視線で凛を見返す事しかできない。
二人の関係というのは一体なんなのだろう。
以前玲司から聞いた話を鑑みるに、異母兄弟だと思うのだが、そうじゃないのだろうか。
「……気になる?」
「え?」
ソファの肘掛に頬杖をついて、凛は相も変わらずニヤリと笑みを浮かべて桔梗を見ている。
「僕と玲司兄さんとの関係」
意味深な匂いを含ませた凛の言葉に、気にならないと言ったら嘘になる為、是とも否とも言えず押し黙る。
昔から積極性が希薄だった桔梗は、こうして相手から嗾けられるとただただ黙って時間が過ぎていくのを耐えるしかできない。双子の兄である朔音はアルファの性質なのか攻撃的で、肉体言語は交わさなかったものの、言論対戦ではとても口がよく滑っていたな、と思い出す。
ふと、アルファだからとかオメガだからとか、自分の中で囲いを作ってしまっていたのに気付く。凛はオメガという話だったが、アルファである玲司と同等に対峙していたし、むしろ優勢だったようにおもえる。
バース性で偏見を持たれるのが嫌だった癖に、その自分がバース性で人を判断しているのに気づき、気分が落ち込んでしまう。
自分が玲司と凛の関係よりも、別の方に思考が傾いたのも、短い間ながらも玲司を信頼してる部分が大きかった。
「……その話は玲司さんがこれからしてくれるので、それまで待ちます。それに、俺は玲司さんの言葉だけを信じたいので」
気を緩めると掠れてしまう喉を叱咤し、はっきりと凛へと宣言する。
凛は一瞬きょとんと目を見開いた後、体を折り曲げ盛大に爆笑したのだった。
「うん、いいね。いかにもな運命の番 って感じで」
「馬鹿にしてます?」
「ううん。羨ましいな、って思って」
笑いすぎて涙を指先で拭う凛の言葉に、桔梗は首を傾げる。
「僕ね、フェロモンが全く出ないんだ。原因は玲司兄さんが話してくれるけど、それが理由で僕には運命どころか番にさえなれる資格もない。残念無念なオメガなんだよ」
屈託なく話す内容はかなり重い内容で、桔梗はどう言ったらいいのか分からずに口を開けたり閉じたりするしかできない。
「だからオメガなのに子供を作る事も産む事もできない。だから玲司兄さんと桔梗さんが羨ましくて、少しだけいじわるしちゃった」
反応できない桔梗へと凛は苦笑してみせる。
今の法整備が整う前は、オメガはアルファの子供を産む為だけの存在とされ、一人のアルファにオメガが複数侍るなんて当たり前のようにあった。
凛のような体質──フェロモンを出せず、アルファとも番えない者は、冷遇され、または発情期もない事から、都合の良い愛玩具として扱われてたりしていた。
流石に上級階級である寒川家の三男を虐げる存在なんて、居るはずもないが……
「ただ、これ以上桔梗君に酷い事を言うようでしたら、有無を言わさず部屋からたたき出しますけどね」
「玲司さん……」
「お待たせしました、桔梗君。はちみつレモンとブラマンジェのベリーソース掛けですよ」
飲み物を用意するにしては遅いと思ったら、自分にこのようなデザートを用意してくれていたのかと目を見張る。
「といっても、今回は作る時間がなかったので、ホテルのレストランに頼んで用意してもらったものなんです」
そう説明され、このホテルのレストランに玲司の先輩シェフがいるのだと思い出し、紐付けされて、ディナーに行く事も一緒に記憶から蘇った。
「そういえば……食事に……」
「いいんですよ。まだ時間はたっぷりあるし、向こうもそこまで気にしていませんでしたから」
玲司は凛と自分の前に湯気が立ち上るコーヒーを置き、桔梗の隣に腰掛ける。
「さて、凛が意味深な事を言ったせいで、とても気になってるだろう話をしましょうか」
と、口火を切った玲司の話は、桔梗の息を止めるには十分大きな爆弾だった。
というのも、寒川の三兄弟は、それぞれ片親が違うとの事だ。
長男の総一朗は、薔子と寒川の当主だったアルファの男との間に生まれた子で。
次男の玲司は、オメガの名家だった女性と寒川の当主だった男との間に生まれ。
三男の凛は──薔子と玲司の母との間に生まれた子供だった。
「え? でも……」
「桔梗さんが不思議に思うのも無理はありません。凛は、薔子さんの精子と母が外遊前に治療の為にと冷凍保存していた卵子で作られた子だからです」
「ま、いわゆる体外受精? 一応、薔子さんのお腹で育ったから、世間では当主との間に出来た子だと思われてるけどね」
それだけでも驚くべき事実だったが。
「そもそも、本当の運命の番は、薔子さんと僕の母親だったんです」
体が弱く、オメガと判断されてからも長年|発情《ヒート》が来ないまま、見合いの勧めもあって帰国した母親は、その数年前に長男が生まれた親友の元へと、結婚と出産祝いをする為に訪ねたという。
そして、彼女は薔子のフェロモンによって発情してしまった。そして、薔子が席を外した僅かな時間、自分に対して発情してしまったと勘違いした寒川当主はお互い勘違いしたまま、親友の夫と交わりうなじを噛まれ、そして玲司を身籠ったそうだ。
薔子は絶望したに違いない。ずっと大切にしてきた運命が、自分の夫と濃厚なセックスをしていたのだから。
だが、薔子はふたりを咎めなかった。運命ならしかたない、と嘯いたらしい。内心は嫉妬のマグマでふたりを叱責したかったにも関わらず。だからこそ、親友を裏切って、子供を孕んだ母親は、ふたりから距離を取り玲司を出産した。
もしかしたら、彼女は自分の運命が寒川当主ではなく、薔子だと気づいていたのかもしれない。既に鬼籍の人になってしまった今では、確認のしようもないが……
「でも、やっぱりどこか諦めきれない部分があったんだろうね。僕の父親……実際は義父にあたるんだけど、薔子さんは彼を説得させ、玲司兄さんの母親の卵子と自分の精子を体外受精させ僕を作った。ね、桔梗さんは僕が何歳だと思う?」
唐突な質問に、玲司の年齢を鑑みて「三十歳位……?」と口にしたのだが。
「あははっ、僕ってそんなに老けて見える? あのね、僕の年齢は二十七歳。君とは殆ど変わらない歳なんだよ」
「──え?」
どう考えても時期が合わない。
玲司が寒川家に引き取られたのが、五歳の頃。その前の年に母親も寒川当主も亡くなっていて、餓死寸前だった玲司を薔子が引き取ったと聞かされている。
「つまりね、薔子さんは周囲には自分の卵子と寒川当主の種で僕を作ったと思っている。でも実際は薔子さんの精子と玲司兄さんと僕の母親の卵子で僕が生まれた訳」
「どうして……」
「本当はね、玲司兄さんを総一朗兄さんに何かあった場合のスペアにしたかったんだけど、既に彼女が不義で玲司兄さんを身籠ったのが周囲に知られちゃったのもあって、それなら正式なスペアをって言われて作られたのが僕。あ、ちなみにこの話は総一朗兄さんも知ってるよ。でも分け隔てなく大事にしてくれてる」
にっこりと笑って凛がコーヒーへと手を伸ばすのを、桔梗はただただじっと見ているだけしかできない。
これまで実の親に自分の子ではないと言われ、義務教育が終了したと同時に家を出され、それでも自由を得る事なく監視されていた日々。上流とはいえども中層家系の香月家に比べれば、上級アルファ家系の寒川家の歪みの方が辛い。
同じ上流と言われても、その間に雲泥の差があるなんて思わなかった。
「本当は、桔梗君が優しいから、この話をするつもりはありませんでした。ですが、桔梗君は薔子さんからカードを授けられた。つまりは、寒川の深部を知る権利を得たので、話す事にしたのです」
「あのカードにそんな……」
パーティの後、玲司すらも追い出して二人だけのお茶会をした夜。その翌日に薔子から渡されたカードに、そんな重い事実が含まれているとは。
「ですから、あのカードは絶対に人の手に渡らないようにしてください。それだけ重要な意味のある物ですからね」
そっと肩を引き寄せられ、玲司の肩に頭を乗せられた桔梗は、玲司から告げられた言葉に、はい、と頷く。濃密な情交ですっかり発情は落ち着いたからか、玲司の爽やかな香りは桔梗の心を落ち着かせる。
「そうそう。あの薔子様が家族以外を家族として受け入れるなんて奇跡だからね。僕は最愛の番との子供だから溺愛されちゃってるけど、玲司兄さんの嫁を自分の家族として認識しちゃってるから、今度からは覚悟した方がいいかも」
と、ニヤニヤ笑う凛に、渋い顔をしているのは玲司だった。
「あの様子だと桔梗君に会うためだけに店に来そうなんで嫌なのですが……」
「あ、僕も遊びに行きたい! 薔子さんや総一朗兄さんだけとかズルい!」
「ズルいって……。新婚家庭に早々来るものではありませんけど」
「心配しなくても、ちゃんとお金は落としていくからさぁ。それに、春から秋槻大学の医学部に特別講師で行く事になったんだよね。どっちにしても時々は行くつもりでいたから」
「は? そんなの知りませんよ」
「だって言ってないし」
急にじゃれあう兄弟の姿に、桔梗はほわりと笑みを零す。彼らの血はどうあれども、れっきとした仲の良い兄弟だ。この旅行が終わったら、自分の兄にとても会いたいなと胸に決める。
「玲司さん達は素敵な家族ですね。俺もその中に入れてもらえて嬉しいです」
玲司の熱が心地よくて、次第にとろとろと眠気が桔梗の目蓋を落としていく。まだ色んな問題全てが解決していないものの、今、この時だけは優しい温もりに包まれ、安堵の吐息を落としていた。
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